「霧に橋を架ける」 キジ・ジョンスン 著

一度架け始めたら最後まで続けるしかない。橋を架けるということは生きることと似ている。

著者初の邦訳短編集、収録された11の作品はどれも独特の味のあるものなのだが、簡単にいくつか作品の感想などを。

「26モンキーズ、そして時の裂け目」
3年前のある日、エイミーは20数匹の猿たちのマジックショーを観て、衝動的にオーナーに頼んでたった1ドルでこの猿たちとショーの全てを譲り受ける。
夫からは裏切られ、好きでもない仕事に就いて、空虚な毎日を送っていたエイミーが、それからはバスに猿たちを乗せ、町から町へと猿たちとショーを繰り返す。
このマジックショーの目玉は、ラストで猿たちが宙に浮かせた空のバスタブに乗り込み、合図とともに一斉に消えてしまうというマジックだ。
しかし実はエイミーにも猿たちは消えている間、どこに行っているのか、そして前触れもなく戻ってくる猿たちが手に手に持っている外国のコインや果物をどこから持ってくるのか、分からない…。
底なしの寂しさにふっと入り込んでくる「不思議」。
なぜだろうと立ち止まり、理由を探そうとしてしまうエイミーは、できればその「不思議」を失うまいとしているのだ。
そんなエイミーに恋人のジェフは。

ジェフはエイミーよりはるかに世界を信用している。「猿たちに訊いてみたらいいのに」彼はそう言う。

必要な人に必要な間だけ、付き合ってくれる時の裂け目を行き来する猿たち。

2009年、世界幻想文学大賞受賞作。

「スパー」
宇宙で巡り合った異星人とINとOUTを繰り返す。
ひたすらにひたすらにインとアウトを繰り返し、それだけが唯一可能なコミュニケーション方法。
なるほど私たちの身体のインとアウトはこんな役割もあったのか。

「水の名前」
嫌いな講義に遅刻しないように走っていく工学部の女子大生ハーラ。
単位を落とさないように急いで教室を目指すさなか、携帯にかかった電話をとった彼女の耳に聞こえて来たのは、打ち寄せる水の音。
どこ?彼女は世界中の海、湖、川の名前を次々に挙げるが、しっくりこない。
そして彼女はその水にある名前をつける。
どうしようもない「今」と見えない「明日」は繋がっていること、明日の自分は昨日の自分を愛おしく思っていること。
誰にも見えない「未来」という言葉のイメージは、確かに打ち寄せる波の音が一番近いような気がする。

「噛みつき猫」
三歳のセアラが飼っている噛みつき猫ペニーは誰に対しても歯を剥く怪獣。
セアラもまたペニーのように兄に噛みつき、離婚問題で悩むママを泣かせてしまう。
人間も三歳だと怪獣みたいなもので、やがてママの悲しみ、兄の痛みに気づく頃、セアラの中の怪獣が消えるようにペニーもまた…。

「蜜蜂の川の流れる先で」
蜂のひと差しをきっかけに、死に向かう老犬サムと一緒に大量の蜜蜂がまるで川のように帯を作って飛んでいるその先をたどる旅をしているリンナ。
サムの死をなんとか止めることはできないのか、リンナはまるで導かれるように蜜蜂の川の流れ込む先に進み続ける。
愛する犬が、猫がいる人なら、これはきっとたまらない物語だと思う。

「霧に橋を架ける」
本書の表題作であり、収録作の中では一番長い作品。
国のあちこちで橋を架け続けた男、キット。
今度の仕事は左岸町と右岸町の間に橋を架ける仕事だが、今回の仕事は腐食性の生き物のように人間を襲う濃霧に包まれている川に橋を架けること。
材料を集める者、作業をする者、監督をする者、船で人を対岸を渡す者、一人一人と丁寧に関係を結び、何年も作業を重ねて、少しづつ少しづつ両岸から真ん中に向かって橋を架ける。
時に犠牲を払い、時に大切な何かを失いながら。
だけど、一度架け始めたら最後まで続けるしかない。
そして一度架けてしまった橋は、両岸の人々の暮らしを、人生を、変えてしまうのだ。
橋を架けるということは生きることと似ている。

2011年、ヒューゴー賞ネビュラ賞、受賞作。

シュールな作品も多いのに、なんだか不思議なくらい場面場面が映像として頭に浮かんでくるのは著者の表現力のたまものだろう。
つかめそうでつかめない、霞のような漠然としているのに、だけどなぜか忘れがたい印象深い作品たちだった。


霧に橋を架ける (創元SF文庫)

霧に橋を架ける (創元SF文庫)