「生き心地の良い町」 岡 檀 著

ここ20年間、若者(15〜24歳)の自殺率が世界トップだというこの国で、どうやって生き心地の良い町を作っていけばいいのか。

自殺希少地域、それは文字通り自殺率の低い地域のこと。
筆者は大学院修士課程で健康マネジメントを研究していた時にコミュニティの特性と自殺率との関係に関心を持ち、国内外で自殺多発地域における自殺危険因子についての研究は数多いのに、自殺希少地域における自殺予防因子に関する研究はほぼ手付かずだったことから、これを研究テーマに取り組むことにしたのだという。


日本における自殺希少地域は、全国自治体上位10位中9つが「島」で、唯一の標準的コミュニティである「町」が徳島県海部町だ。
筆者はこの町でインタビューやアンケート調査を繰り返しながら自殺予防因子を探索、最終的に海部町の以下の5つの特性を予防因子と考えた。
1、多様性を重視する。
2、人物本位主義を貫く。
3、自己効力感を持ち、政治参加にも意欲的。
4、援助希求への抵抗が小さい。
5、人間関係が固定せず、ゆるやかにつながっている


筆者は1の裏付けとして、町の「朋輩組」という組織を例に挙げる。
朋輩組とは中学または高校を卒業した男子女子が4〜5歳の年齢幅でグループを作る相互扶助組織のこと。
この「朋輩組」には会則と呼べるものが無く、他の町では諸条件(三代続けてこの地に持ち家を有する家筋、など)を設けている入会資格も退会も原則自由で、かつ退会したからといってなんら不利益を被ることはないという。
また海部町では、赤い羽根募金が集まりにくく老人会の入会率も他自治体に比べて低い。
つまり「人がやるから自分もやる」と考える人が少なく、それをまた受容する土地柄であるようだ。


2についても、朋輩組の例を挙げるが、注目すべきは他地域の同種組織では代々続くいわゆる先輩からのしごきについても、朋輩組においてはほとんど見られず、単純にこの町では年長者だからという理由で威張る、抜擢されるという風習がないのだという。
何と言ってもそんなやり方を驚いた筆者が、町民たちに他の組織での過酷なしごきの例を話したところ「ほない野暮なこと、誰もせんわ」と一笑にふされたという。
この「野暮」の使い方、かっこいい。


3の「自己効力感」という言葉は「自己信頼感」「有能感」とも言い換えられるということだが、「どうせ私なんて」と思う心情の真逆と言えば分かりやすいかもしれない。
海部町の住民アンケートで高い割合を占めた「自分が動くことでなんらかの良い方向にものごとが変化すると信じられる」ということ、これが生き心地の良い町を作る因子の一つであるとの主張には大いに首肯する。
「どうせ私なんて」と言う人と一緒にいるのはやはり居心地が悪いものだから。


4の援助希求では海部町で言い古された「病は市に出せ」という言葉を例に挙げる。
病というのは病気だけでなく、広く生きて行く上でのさまざまな悩みを指すのだが、それらの悩みをやせ我慢せず「市」つまり公けの場に出した方がよいという意味だという。
実際にそれらの悩み、たとえば借金などもそうだが小さいうちに消火しておかないと、放っておくと周囲の人を巻き込む大火となってしまう。
海部町では「一度めはこらえたれ」と初めての過ちは許し受け容れる言葉もあるのだという。
つまり失敗が許されると信じるからこそ、人は自分の窮状を伝えることができるのだ。


5のゆるやかな繋がりについて筆者は、自殺多発地域の住民アンケートとの比較などにより、この町の住民の非常に淡白な隣人関係を挙げる。
相互扶助というのは美しい言葉だが、あまりに密接な人間関係は人を窮屈な気持ちにさせる。
出入り自由のゆるやかな人間関係というのは、1、2においても言及された通り人間関係を健全で居心地の良いものにする秘訣のように思う。


筆者が厳密に感情を排し客観性を保とうとしていることはとてもよく伝わってくるのだが、文章の端々に、筆者自身がこの町に居心地の良さや住民たちへの共感を覚えていることが伝わる。
純粋に、海部町が好きになってしまったのだろうと思う。
この点は筆者の観察者としての公平性、客観性に不安を覚えるところ。
しかし「絆」や「女性が輝く社会」というスローガンに、どちらかと言えば息苦しさや小っ恥ずかしさを感じる私もまた、この町の人間関係の「ゆるさ」は魅力的だ。


では、悩める人は海部町に引っ越せばいいのかというと、これはもちろん違う。
筆者はなぜ海部町なのか?という答えの一つを、地理的特性(土地、気候、日照時間など)の影響や、江戸時代の繁栄によっていろんな風習を持った各地から人々が移住したことなどの要因を挙げる。
しかし、だから自殺予防はよその土地ではできないという結論では無い。
「絆」が、いくら危機に直面したからと言って一朝一夕で生まれるものではないように、たくさんの人が本書にあるような具体的な問題点を意識し、毎日少しでも自分と周りの人々の生き心地の良い空気を作っていこうと考えていけたら。
日本はここ20年間若者(15〜24歳)の自殺率が世界トップだという記事を読んで感じた絶望感が、少しほどけた気がした。


生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある

生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある