「刑事たちの三日間」上・下 アレックス・グレシアン 著

創設まもないロンドン警視庁スコットランド・ヤード)の殺人捜査課を舞台に、新任警部補ディや同僚たちがヴィクトリア朝ロンドンの街を駆け巡る!同僚刑事リトルの死体発見から真犯人逮捕までの怒涛の3日間を描くシリーズ第一作。



この作品は創設間もないロンドン警視庁スコットランド・ヤード)の殺人捜査課を舞台に、そこで働く刑事たちの活躍を描く警察小説だ。

原題は「The yard」と、まことにストレートな題名。
ロンドン警視庁殺人捜査課の創設期に殺人捜査課に配属された刑事たちが、どうやって指紋検査や血液検査などの科学的捜査なしに、山のような事件を抱えつつ、犯人にたどり着き逮捕するのか。
現代の科学的な捜査方法を駆使する作品(アレとかアレとか)と比べると、いささかスローテンポで、まどろっこしいところもあるが、ともすれば、グロテスクな倒錯殺人、サイコサスペンスなどに走りがちな現代の犯罪小説と比べると、その分、純朴で真面目な刑事たちの活躍にちょっとホッとさせられる気もする。


ロンドン警視庁の刑事課の創設時代の話と言えば「最初の刑事」があるが、本書はジョナサン・ウィッチャー警部がロード・ヒル・ハウス事件を捜査した1860年から29年経った1889年の設定だ。
殺人捜査課が設置された前年1888年には悪名高い「ジャック・ザ・リッパー」、そう切り裂きジャックが5人(分かっているだけで)の娼婦を惨殺し、姿を消すという事件が発生している。
あの事件はロンドン市民たちには強い警察不信を、そして警察官たちには大きな自信喪失をもたらしており、その影響は本書の中で端々に顕れている。



さて、本書の主人公ウォルター・ディ警部補は、新妻を連れてデヴォンから出来たてのロンドン警視庁殺人捜査課へと赴任。
そこには、11人の警部補たちが、片付けても片付けてもまったく減る見込みのない事件の山と格闘していた。


先月にはテムズ川から九十六の死体が引き上げられ、その半数以上が喉を掻き切られていた。年間の逮捕者数が六万を超える都市ともなれば、さほど異常な数ではない。


このように混沌とした当時のロンドンの街の様子が推察される。
そして、赴任早々のディが遭遇したのが、口や目を糸で縫い付けられた異常な姿で発見された同僚刑事リトルの殺人事件。
まだロンドンの街にもヤードにも戸惑うディは、いきなりこの大事件を担当するよう上司に命じられる…。


実直で真面目、空気を読むのに長けた主人公ディもさることながら、他の登場人物もかなりキャラが立っている。
上司は片腕をインドでトラに食い千切られたという伝説を持つ隻腕のサー・エドワード・ブウラッドフォード大佐。
同僚には親父ギャグ的ダジャレを連発するマイケル・ブラッカーと、ディがリトル殺人事件を追うのと同時進行で、煙突で窒息死した幼い少年の事件を追う、ナイーブで女性にモテるネヴィル・ハマースミス巡査。



そして、正式に雇われたわけでも、頼まれたわけでもないのに自発的に事件現場に駆けつけ死体検分を行うバーナード・キングスリー博士(「解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯」のハンター医師を思い起こさせる)と、その可憐な娘フィオナ。
ディの新妻クレアは、ディよりも上流階級の出身だが、心優しく真面目なディを心から愛しており、慣れないアイロンがけや裁縫に励みつつ、ひそかに事件解決の協力までするという献身ぶり(その姿は、まるで「半沢直樹」の妻のよう。その良妻ぶりはちょっと鼻につくかな、というところまでそっくりだ)。
なかなかツボを抑えた個性的なメンツを揃えて、面白くない訳はない。


シリーズ第一作目の本作は、登場人物各人の紹介とディ警部補が身も心もヤードの一員になるまでの物語。
登場人物たちが抱える葛藤や希望もほんのかすかに見えてきたところで終わりとなるので、ちょっと物足りないかもしれない。
本国ではシリーズ次作がすでに発売されているということなので、そこでは更にディープな各人の事情や関係、そしてなによりロンドンの街そのものを堪能できるのだろう。
レトロな風俗と、なによりも正義を追求する登場人物たち、そんな警察小説をお好みの方に、オススメの一作だ。


刑事たちの三日間 上 (創元推理文庫)

刑事たちの三日間 上 (創元推理文庫)

刑事たちの三日間 下 (創元推理文庫)

刑事たちの三日間 下 (創元推理文庫)