「名もなき人たちのテーブル」 マイケル・オンダーチェ 著

昨秋、思いかけず一週間の船旅をすることになり、ワクワクしながら船を舞台にした小説を探した。
読むんだ!読むんだ!船のデッキで!潮風に吹かれて。
豪華客船での殺人事件、幽霊船との遭遇、嵐で遭難…なかなか面白そうな本が集まった中で、結局どっぷりハマってしまった一冊はある少年の船旅を描く本書だった。
 
本書の主人公は11歳のマイケル。
彼は父を亡くし旧セイロンからイギリスの母のもとに渡るため、たった一人客船オロンセイ号に乗って21日間の旅をする。
船内や寄港地ではさまざまな事件が起こり、そこに関わるのは、どこか怪しげでもある乗客たち。
ある人は彼に盗みを仕込み、ある人はスリルと冒険の思い出を語り、またある人は恋の喜びと哀しみを知らず知らず彼に教える。
実は本当に興味深い事件は、船長やお金持ちたちがちやほやし合う上席のテーブルでは起こらない。
それはマイケルたちが集う、なんの力も持たない名もなき人たちのテーブルで起こる。
マイケルはこのテーブルで生涯の友たちに出会い、そして彼らと船旅の最後の最後に大事件を目撃することになる。
 
ところが、本書の面白さはここからなのだ。
大人になったマイケルが少年の頃に経験したオロンセイ号の冒険の旅を思い返した時、それらの思い出はまったく違う貌を見せる。
ああ、こういうことってあるよなあと思う。
子どもの頃には理解できなかったある人の言動が、大人になって思い返すとまったく違う意味と感情を呼び起こし、当時は謎としか思えなかった出来事の秘密の答えがぱあっと閃く瞬間…。
マイケルもまた、長い時を経てオロンセイ号で起こった大事件の真相と関わった人々のその後の人生を知ることになる…。
 
さて私の体験した昨秋の約3000人を乗せた大型クルージング船での旅。
船内は、さまざまな国籍や職業を持った人々が行き交い、暇さえあればどこかでイベントが開かれ、陽気な歓声があがっていた。
レストランにはいつ行っても温かい食事が用意され、劇場ではオペラ歌手の歌声が響く。
船の端から端まで長い甲板が続き、周囲のどこも見渡しても陸が見えない。
乗船して、フィリップ・リーヴの「移動都市」だよこれ、とまっ先に感じた。
複数の階層に分かれた大勢の見知らぬ人々が住む大きな「城」が丸ごとゆったりと歩んでいるかのような「大移動」。
だけど実は船内の3000人は、それぞれが異なる喜びや悲しみを心の中に秘めて実は孤独。
にもかかわらず、何よりも大切な何かを全員で共有している、という不思議な感覚。
よく考えれば地球だってそうなのだ。
けれど、船という擬似的な小地球にいることで乗客はより一層そのことを意識させられる。
私たちは全員ここで生と死を共有している、と。
そして実際に船上で「死」を目撃したマイケルの旅は、彼のその後の人生に決定的な影響を持ち続けることになったのだ。
 
(追記)
数ヶ月後に起こった同じクルーズ船を襲ったウイルス感染という出来事を見つめながら、改めて「船にいる者は生と死を共有している」ということを実感した。
そして恐怖した。
なんということだろう、私たちは目に見えるモノとだけではなく、目に見えないモノとも一緒に船に乗っていたのだ。
 

 

名もなき人たちのテーブル

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