「総選挙ホテル」 桂 望実 著

身売り直前のホテルに就任した新社長の立て直し策。それは、従業員の従業員による総選挙!?

先日新聞を読んでいたら、ある人が仕事を続ける秘訣として自分の仕事人生を振り返り「ぶれずに自分が『やりたい仕事』をすることだ」と語るインタビュー記事があった。
随分と運の良い、巡り合わせのよい仕事人生を歩んで来た方なんだろうと思ってその記事を読み終えたら、同じ日の読者の投稿欄に「若者は仕事を選んではいけない」という投書が載っていたので、思わず「どうしろっちゅうねん!」と突っ込んでおいた。
とりあえず、この新聞を読んで、他人の言うことなんてあてにしてはいけない、ということを若者が読み取ってくれれば良いなと思う。


さて、本書もまた「仕事」をめぐる物語である。
舞台は老舗ホテルであるフィデルホテル。
老舗とはいえ、中規模ホテルのため人気は最高級ホテルには及ばず、最近は安さが売りのシティホテルなどにも押され気味で、とうとう経営難で身売り直前、投資ファンドから元大学教授の元山が社長として送り込まれた。
そしてその元山は、自分の研究テーマである人間の心理や行動考察を実社会で検証してみたいという動機で社長に就任、大学卒業からフィデルホテル一筋の支配人永野とは初対面から噛み合わない会話を繰り広げて…。


この元山、2人の元妻たちからはいずれも「あなたは自分勝手過ぎる」と言われて離婚されており、確かにその言動を見る限り、一種のコミュ障のケがあるようだ。
そしてフィデルホテルでは、元山の研究結果に基づく斬新なアイディアで、従業員が他の従業員を採点する総選挙をしたり、監視カメラで各々の接客態度を従業員同士で採点したり、覆面調査の結果で部署ごとに人員削減を行うことに。
当初はそれぞれ自分たちの希望する部署で、希望する仕事をしていたはずの従業員だが、総選挙の結果を受けて解雇されたり、全く違う部署に配属されたりして現場は混乱する。
士気の下がる状況の中、それでも生活のため、と働くうちに、思わぬ適性を発揮し輝きを放つ者や、「自分」について新たな発見をする者が続き、それはやがてホテルの評判にも反映され…。


人はなかなか自分のやりたい仕事をやれるとは限らないし、意志の力でやりたい仕事につくという人もそれほど多くはない。
けれど一方で、自分が「やりたい」と思っている仕事が、必ずしも自分にあっているとは限らないということもある。
自分の目で客観的に自分を眺めたり観察することが難しい以上、やはりここは「鏡」が必要になる。
そしてその鏡は他者なんだろうと思う。
自分を見たければ、他者の目に映る自分を観察するしかないのだ。


従業員の従業員による総選挙も、監視カメラ評価も、外部の覆面調査も、この他者の目に映る自分と向き合うことそのものだ。
果たして元山はそのことを最初から狙っていたのだろうか?
いや、狙っていたのかもしれないが、まさか自分もまた永野たち従業員から新たな姿を見せられるとは思っていなかったのではないだろうか。
ラストで永野の思わぬ指摘とエールに戸惑う元山の姿はなんとも魅力的だ。


それにしても、仕事というのは、この「他者の目に映る自分」を見るには最適の場だ。
もちろん、その鏡に映った自分の姿がステキではないと思うのなら、思い切って環境を変えるのも手だと思う。
だって歪んだ鏡に映る自分を見ても、自分のことを冷静に判断することはできないから。
けれど…お客さまという鏡に映る「自分」が自分自身で思っていたよりずっとずっとステキな自分だったら…そう、それは本当に、とてもとても幸せなことだ。
そういう一瞬をたまにでもいいから時おり手に入れられるなら…。

「遣り甲斐だとか自己表現とか、若い子はそういう難しいことを言うが、朝起きて、飯食って、仕事して、寝るんだよ。それがすべてだ。それでいいじゃないかと思うよ。そういう毎日の中に時たま笑ったり、旨いものがあったりしたら最高だ。そんなもんだよ、人生なんて」

本当に、その通りだと思う。



総選挙ホテル

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