「歩道橋の魔術師」 呉 明益 著

取り壊され跡形もない中華商場、だけどそこで泣き、笑い、出会い、別れ、生まれ、死んだ者たちの記憶は「歩道橋の魔術師」というブラックホールに吸い込まれ、どこかで今も夢を見ながら漂っているような気がする。

本書の舞台は台湾、台北市の中華路にあったショッピングモール「中華商場」だ。
「忠」「孝」「仁」「愛」「信」「義」「和」「平」と名付けられた店舗と住居が一体になった8棟の3階建て商業ビル。
各棟は歩道橋でそれぞれ繋がり、そこにはたくさんの物売りが、日用品や、アイスクリームや包みパイ、洋服や、金魚、亀、すっぽん…さまざまなものを売っている。
本書では買い物をするたくさんの人々とそこを遊び場にする子どもたちの姿が、とても生き生きと描かれている。
きっとそれは、著者もまた「中華商場の子ども」の一人だったから。
まるでページから音や匂いまでしそうなくらいに躍動感や懐かしさ、切なる愛着が伝わってくる。


そんな中華商場の、「愛」と「信」の間にかかった歩道橋で、通行人にマジックを実演する男が「歩道橋の魔術師」だ。
魔術師?手品師やマジシャンではなく?
そう、だって「ぼく」がその男の持ち場の前で靴や小物を売ることになり、「マジックの道具を売る人の目の前で商売するんだ」と喜んだ時、彼はこう言ったのだから。

「違うよ。わたしは魔術師なんだ」男はぼくにそう宣言した。またある日、商品をどこから仕入れているのか訊くと、男は答えた。「このマジックは全部本当なんだ」男はトカゲみたいに左右に離れた、二つの場所を同時に見ているような目でぼくを見た。ぼくの体はブルッと震えた。

魔術師は中華商場に住む子どもたちに、さまざまなマジックを披露する。
時に優しく、時に美しく、そして残酷な、「本当のマジック」を…。


本書の全9編の短編は、小説家である「かつて中華商場の子ども」だった語り手が、今は中年の男女となった同じ、「もと子どもたち」に魔術師について聞いて回る、聞き書きの体裁をとっている。
皆が皆、魔術師を覚えているわけでも、彼のマジックを見たわけでもなくて、時には魔術師とは全く関係のない思い出話になってしまうこともある。
だけど、かつての中華商場の子どもたちの時間には、たくさんの可能性と魔法があふれている。


子どもの頃、現実と魔法の境目はあいまいだった。
頭の中では透明人間にも、なろうと思えば王様にでもなれる、だけど、なんにでもなれて現実にはなにものにもなれなかったあの頃。
だけど、やがて中華商場が消えたように、繁栄した場所や人々の記憶も、そして魔法もいずれ消える運命にある。
中年になった男女の語りには、どんなに楽しい思い出を語っても、滅びゆく運命を知る者の哀しみがつきまとっている。


かつて経済成長の中で1000軒以上の商店街が軒を連ねた中華商場も、1992年に全棟が解体された。
今は跡形もない中華商場、だけどそこで泣き、笑い、出会い、別れ、生まれ、死んだ者たちの記憶はどこに行くのだろう?
実は、人々の記憶は「歩道橋の魔術師」というブラックホールに吸い込まれ、どこかで今も夢を見ながら漂っているような気がするのだ。
「ぼく」が魔術師をモチーフに人々のむかし語りを集めたのは、中華商場についての人々の消えゆく記憶をなんとかこの世にとどめようとする小説家である彼なりの努力だったのではないか。
記憶というものは、他者に語ることによって初めて、この世に居場所を得ることができるのだから。
たとえば、読者の心の中に。


歩道橋の魔術師 (エクス・リブリス)

歩道橋の魔術師 (エクス・リブリス)