「人間の土地」 サン=テグジュペリ 著

難破しかかっているのは私たちだったのだ。


ここのところ、誘拐事件の報道が毎日のように流れ、その度に思い出していたのはサン=テグジュペリの「人間の土地」のことだった。
飛行中にサハラ砂漠に不時着したサン=テグジュペリと同僚は渇きに苦しめながら3日間熱射の中を彷徨う。
死に直面しながら同僚が涙を流しているのを見てサン=テグジュペリが励まそうとすると同僚はこう答える。

ーぼくが泣いているのは、自分のことやなんかじゃないよ……」

〈自分のことやなんかじゃないよ……〉そうだ、そうなのだ。耐え難いのはじつはこれだ。待っていてくれる、あの数々の目が見えるたび、ぼくは火傷のような痛さを感じる。すぐさま起き上がってまっしぐらに前方へ走りだしたい衝動に駆られる。彼方(むこう)で人々が助けてくれと叫んでいるのだ、人々が難破しかけているのだ。


ああ、そうなのか。
難破しかかっているのは人質でとられたあの人ではないのだ。
私たちだったのだ。


この多くの難破を前にして、ぼくは腕をこまねいてはいられない!沈黙の一秒一秒が、ぼくの愛する人々を、少しずつ虐殺してゆく。はげしい憤怒が、ぼくの中に動き出す、何だというので、沈みかけている人々を助けに、まにあううちに駆けつける邪魔をするさまざまの鎖が、こうまで多くあるのか?なぜぼくらの焚火が、ぼくらの叫びを、世界の果てまで伝えてくれないのか?我慢しろ……ぼくらが駆けつけてやる!……ぼくらのほうから駆けつけてやる!ぼくらこそは救援隊だ!


人間の土地 (新潮文庫)

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