「上流階級」 高殿 円 著

百貨店の外商部を舞台に、モノを売ることの難しさと喜びにあふれたお仕事小説。

本書の主人公、鮫島静緒(さめじましずお)は、富久丸百貨店の神戸芦屋川店で初の女性外商員として抜擢され、日夜「リッチ層」ーいわゆるお金持ちを相手に奮闘している。
しかし実は彼女、抜擢されたと言いつつも、富久丸百貨店のカリスマ外商員である憧れの人、葉鳥(はとり)の後継者候補の1人として、約10名の候補者たちと熾烈な売り上げ競争を展開している仮免許の外商員なのである。
そして、そもそも洋菓子のバイヤーとして入社した静緒は、百貨店の売り上げ3〜4割を叩き出す「リッチ層」のニーズを掴めず苦労が続いているのだ。


候補者たちの中でも最有力候補は、大阪の堂島本店から配属された「本店王子」こと29才の桝家(ますや)修平だ。
彼は資産家である実家の力や自身の魅力で、月初には早くも当月のノルマ(1000万以上!)を達成してしまうほどの実力を見せつける。
ところが静緒は彼と最初からウマが合わず、顔をあわせれば激しく衝突を繰り返す仲だ。
しかもある事情で、その彼と同居することになった静緒。
やがて彼が抱える厳しい闘いを目の当たりにして、2人の間には友情ともつかない不思議な関係が結ばれていく…。


百貨店を舞台にしている本となると、思わず手に取ってしまう。
と言うのは、大学時代、夏休みはお中元、冬休みはお歳暮のバイト要員として、地元の百貨店でのアルバイトに勤しんでいたからだ。
仕事は店頭での接客、包装、発送準備など。
毎年顔を出していれば従業員の方とも顔見知りになり、商品の包装も2〜3年やっていれば手練れとなった。
ところがある年のお中元時期、なぜか「外商部」に配属されてしまった。
とは言っても仕事は電話番や使いっ走りのようなものだったのだが、地元の名士やお金持ちたちから受注する仕事は本書よりややスケールは小さいものの、地道な毎日を送る女子大生には驚きの内容だったし、高額・大量受注が入った時の現場の興奮や〆切りに追われながらの準備作業など刺激的な日々だった。


実は、こっそり周囲を観察していると、他にさしてライバルと呼べる他店もない分、外商員間の顧客の奪い合いや売り上げ競争は熾烈で、会話に大きなトゲが含まれていることもあったし耳を塞ぎたくなるような話もあった。
そして、そんな彼らのライバル意識をうまく利用する顧客たちの駆け引きに呆れたり感心したり。
そこで感じたのは、「何かを売る」ということは自分の中の何かを少しずつ切り取るような思いをするしんどい作業だということ。
就職活動を控えた世間知らずの女子大生にとっては、厳しい洗礼だったし、就職時に販売に関わる仕事を避けたのはその経験が影響したのかもしれない。


それでも、そこで教えられたことはしっかり私の中に刻まれていることを本書を読んで改めて感じた。

ある外相員さんに言われた
「人を見かけで判断するな」
「人は見かけで判断する」
という言葉。
毎朝姿見で全身を映して出かける習慣はこの時から続いている。

そしてもう一つ仕事を通じて感じたこと。

「お金の使い方には、その人の人となりが表れる」

これには金額の多寡は関係ない。
手元に100円がある、これで何を買うか?という問いは、手元に100万円ある、これで何を買うか?という問いと本質的には同じだ。
100円で幼子のためにパンを買う人もいれば一攫千金を狙ってパチンコ屋さんに走る人もいる。
いい悪いではなくて、「何をどう買うか?」はその人の生き方の反映だ。
だから、お金の動くところでは何よりも「生き方」を問われるようなドラマが多々起こる。
お金に関する小説のタネは尽きないわけだ。


著者は「トッカン」シリーズでもお金にまつわるあれこれを描いてきた。
お金の話というのは、語り方によっては、一歩間違うと不快な気持ちを呼びおこすものだが、本書でもトッカンシリーズでも、著者は絶妙なバランスでそれを免れている。
それは著者が、人間というものに理想や厳しさを課していることの、優しさを忘れていないことの証しでもあると思う。
もう少し、そんな静緒や桝家たちの熱い闘いを見てみたいと思っていたら、続編のニュースが。
楽しみなシリーズがまたまた増えてしまった。



上流階級 富久丸(ふくまる)百貨店外商部

上流階級 富久丸(ふくまる)百貨店外商部