映画「6才のボクが、大人になるまで」

子どもが大人に成長するのもたいへんだけど、人が「いい親になる」ということも本当に本当にたいへんなんだよ。


この作品は、6才の主人公メイソンが、姉や離婚した両親ら家族とともにさまざまな経験を経て、18才で大学に入学するまでを描く映画だ。
この映画、毎年同時期に俳優たちが集まり、同じ役を演じ、それを少しずつ断続的に12年間撮り続けたという。
だから観客は毎年夏休みや正月に会う親戚の子どものようにちびっ子のメイソンが背が伸び、声変わりし、ヒゲが生え…というささいな変化を見つけながら、彼の成長を確認していくことになる。
所々に主人公のハマるゲームの映像やハリーポッターの発売記念のイベント、オバマの勝利した大統領選挙など、時代が推察できるトピックスを挟みながら、時間の経過を丁寧に観客に伝えている。


「子ども」の宿命としてメイソンは、父親、母親の都合やそれぞれの転職、離婚、再婚という大きな環境の変化に、姉サマンサとともに翻弄される。
それぞれのイベントと大人たちの大騒ぎを、淡々とした表情で受け入れる姉と弟。
不運や貧しさや理不尽な暴力に遭遇することもある。
だけど、2人は決して父や母を責めることはしない。
その姿を見ていると、なんだか自身の体験を思い出し胸がつまる。


人生のうちで、「あれ」をきっかけに人生が変わったと思える瞬間がいくつかある。
私にとってのその一つが小学校4年生の時の転校だ。
関西地方から他県への引っ越しは、父の転職によるもので、それは突然の父の一大決心に家族全員が無理やり付き合わされた格好で、なんだか納得できない気持ちのまま「連れて行かれた」気がしていた。


この映画の中で、主人公メイソンと姉サマンサが母親の転職や離婚のたびに車に乗せられ新しい学校に放り込まれるのを見ていると、その時の気分がよみがえってくる。
関西弁や、転校先よりちょっと進んでいた勉強の進度、住んでいる場所、いろんなことが区別の対象となり、からかいの的になった。
おかげで人の顔色を見ること、集団の中に入れば瞬時にグループを見分けること、空気を読んで話題を振ることが身についた。
さまざまな出来事を通じて、他人は何を考えているのか分からない、他人は怖い、ということを骨身に沁みて感じ、それは私の処世の何よりの指針となった。


鉢植えの植物を植え替えたことのある人ならわかると思うが、新しい鉢に植物が根付くまでの最初の数日はとても気を使う。
だけどあの頃、父も母も自分を新しい仕事や新しい人間関係を根付かせることに必死で、子どもたちが根付くまでゆっくり見守る余裕がなかった。
弟と「私たち、よくグレなかったよね」と話したこともある。
鬱憤を爆発させ親の関心も引く、なんて思いつきもしなかった。
それほどに父も母も必死に生きていた。


一緒に映画を観た息子には別の感想があるだろうが、私が感じたのは、メイソンたち子どもの世界にもいろいろあるが、メイソンの父親や母親ら大人もツライよなあということ。
この映画で一番泣けたのはイーサン・ホーク演じる父親が、成長した主人公に言うこの台詞だった。


「いい親になりたいと思ってきたんだ」


この映画は子どもが大人に成長する姿とともに、一方で人が「いい親になる」ということの難しさを描いていると思う。
映画の最初の頃に母親が父親に向かって「私は『娘』から突然『母』になったのよ!」と叫ぶのは、その難しさの本質を言い表していると思う。
その心構えもマニュアルも十分備えないまま、ほとんど訓練もされないまま人は親になる。
いい親になりたいという気持ちだけがその期間を耐える支柱となるのだ。


父や母が私にとっていい親だったのか。
2人は環境や経済的なチャンスに恵まれていなかったし、知識や経験を授けるスキルも持っていなかった(2人がそれぞれに幼くして両親、または片親を亡くしていた)。
だけど、子どもの頃から私や弟はたぶん分かっていた。
彼らがそれぞれに「いい親になりたい」と思い続けていたことを。
回りくどいが、2人がそう思っていたことを「子どもの私が分かっていた」ということが、この年齢になって理解できた。
私がバカなことをしでかしてはいけない、まともに生きていかなければならないと肝に銘じていたのは、それが分かっていたからだった。
イーサン・ホークの台詞を、また別れ際の母の涙を微笑みながら受け入れるメイソンを観ていると、そのことが腑に落ちて、そして泣けてしまった。


子どもが大人になるまで、親は子どもを通じて何度も何かに挑戦し、何度も危機に遭遇し、何度も子どもに救われる。
かっこ良かったり悪かったり、美しかったり醜かったり、子どもというのは、そんな自分を映す鏡だ。
そしてその鏡は突然なくなってしまう。
メイソンがそうであるように、子どもは前だけを見つめ、自分の居場所やパートナーを見つけて、ある日、後ろを振り返ることもなく、ひらりと飛び立ってしまうものだから。
親もまた、子どもの旅立ちに、一人で前を見て歩くよう促されるのだ。
まだまだ自分が「いい親になれたのか」そのことの実感も持てていないというのに。
この映画は子どもが大人に成長する姿とともに、一方で人が「いい親になる」ということの難しさを描いていると思った。