「翻訳教育」 野崎 歓 著

作者の意図を100%正確に再現できない翻訳本は「本物ではない」のか。では、そもそも、「翻訳」とは、いったい何なのか。


学生の頃、気になった本の一節をノートに書き貯めていた。

「精神の風が粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる。」

「完全に調子が合っている二人の踊り手は各自の、そしてまた相手のうちにある『翼のある生命』を決して滅ぼさない。」

それらの言葉は私を励まし、鼓舞した。
だがしかし、果たして私を励まし、鼓舞したのは、サン=テグジュペリやアン・モロウ・リンドバーグなのか。
それとも、彼らの言葉を日本語に翻訳した堀口大學なのか吉田健一なのか。


さて本書は、大学で教鞭を執る傍ら数々の翻訳を手がけてきた著者が、長年の翻訳人生のうちの約2年間の出来事や、翻訳本にまつわるさまざまな思いをまとめたエッセーである。


昔から私は、どちらかと言うと翻訳本を好んで読んでいた。
ところが、本書でこのようなエピソードを読んで驚いた。
著者が担当する翻訳論の講義を前に、学生たちに「好きな翻訳書をあげてください」とアンケートを試みたところ、

翻訳書は読まないようにしていますと回答する人が必ず含まれているのには心底、驚かされた。翻訳は本物ではないし、誤訳がつきもので、間違いがあると分かっている本を読むのは嫌だから読まない。そうきっぱり記す学生がいるかと思えば、自分は日本文学が好きなので外国のものは読まないと綴る学生もいたーーー

のだという。
これで思い出したのだが、学生時代、知人に翻訳本を勧めたら「俺はカタカナの名前は覚えられないから」ときっぱり断られたことがあったなあ。


そう、確かに翻訳本が、多かれ少なかれ、翻訳者の恣意や嗜好というフィルターを通って出来ていることは感じることがある。
かつて、同じ原作を違う人が翻訳した本を読み比べたことがあるが、まるで別物だった。
例えば、ネロ・ウルフシリーズのアーチー・グッドウィンが自分を「ぼく」と称するのか、「私」または「おれ」と称するのかは、私にとって物語世界をガラリと変えてしまうほどの大きな大きな「違い」である。


では、作者の意図を100%正確に再現できない翻訳本は「本物ではない」のか。
では、そもそも、「翻訳」とは、いったい何なのか。


著者は、この疑問に対して、「音楽」という例を挙げて考察する。
作曲家の楽譜を楽器を使って再現する演奏家は、ある意味、翻訳家と同じ役割を果たしている。
音楽では、同じ曲であっても、演奏家の腕前、楽器の良し悪し、指揮者の意図や解釈、それらの違いで作品には何通りものヴァリエーションが生じる。
しかしその違いをもって「偽物だ」と断罪する人は多くはないし、むしろ、その違いを楽しむ向きさえある。
それは、音楽が、作曲家と演奏家が一体になって作る芸術であるという前提が聴く者たちに了解されているからかもしれない。
翻訳本も、再現芸術の一種であり、それは翻訳という作業によって新たに生まれ変わる作品のヴァリエーションの一つなのではないだろうか。
そこに偽物とか本物という概念は存在しないと思うのだが。


そしてまた、観る者、聴く者がいて完成するのが絵画であり音楽であるとしたら、翻訳本もまた読む者がいて作品として完成する。
ショパンピアノ曲は、彼が生涯病に苦しんだことや、ジョルジュ・サンドとの逸話などを知らなくても楽しむことはできるが、それらのエピソードを知った上で聴くと、また違った感慨を抱くことができる。
すべては作る人、伝える人、受け取る人、それら関わる者の間の関係性であって、深く関わる覚悟を決めた者こそが、作品から多くのものを受け取れるのかもしれない。


本書では、そんな読者のために、さまざまな翻訳にまつわる四方山話が紹介される。
ゲーテの「ファウスト」の翻訳にまつわる挿話や、ウィキペディア堀口大學のバナナにまつわるエピソードなどにも話が及び、あまりにも楽しくて思わず「月下の一群」を再読してしまった。
他にも様々な挿話があるのだが、中でも私は、森鴎外、娘の茉莉、孫の𣝣(じゃく)について書かれた一連の話がとても印象深かった。
著者が大学在学中、退官直前授業を受けたという「ジャク先生」のついての記述は温かなものに包まれていて、なぜだか著者の「ジャク先生は何といっても特別な星のもとに生れた人だったのである。」という言葉に泣きたくなってしまった。


以前、仕事でこんなことがあった。
電話を受けながら相手の言葉を忠実に反復しているつもりだったが、途中で話し手からこう言われたのだ。
「やめてくれませんか。私の言葉をオブラートに包むのは。いくら聞き苦しくても私の言葉は私の言葉として相手に伝えてもらえませんか」
そう、話し手の言葉にあまりに毒が溢れていたために、私は無意識にリフレーミング、再構成をしていたのだ。
毒を抜いて。
しかし話し手はそのまま、毒を盛ったまま相手に差し出せと要求したのだ。


誰かの言葉を誰かに伝えるというのは、毒であろうと薬であろうと、自分を通して世界へ表現されることへの一種の「覚悟」を必要とするのだろう。
そして、私にはその覚悟が足らない、そう話し手は指摘したのだ。
自分の不甲斐なさと未熟さに、腹立たしい思いを抱える毎日。
著者の勉強を重ねた日々に及ぶべくもないが、

翻訳家とはどうやら、毎瞬刻々と翻訳家になりつつある存在なのだ。そのことの新鮮さこそが、ぼくにとっての翻訳という営みの味わいなのかもしれない。

という言葉に希望を見出しつつ、目の前の言葉に真剣に向き合おうと思った。


ところで、数10年前に「カタカナの名前は覚えられない」と断言した元クラスメイトは、今ではソファでW杯を見ながら「メッシ行けー」とか「おークリスチャン・ロナウドー」とか「ネイマールすごいよね」「ザッケローニの采配はなってない」などと言っている。
数十年をかけ、彼もカタカナの名前を覚えられるようになったようだ。
まあ、そういうことにしておこう。


翻訳教育

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