「偶然完全 勝新太郎伝」 田崎健太著 

なぜだろう。失敗もせず人に迷惑もかけず家族を大切にして堅実に生きている人より、大失敗をして人に迷惑をかけ家族を泣かせて人から笑われるような、そんなお馬鹿さんに惹かれてしまうのは。そんな人が愛しいのは。

以前見たTVで、オノヨーコがインタビュアーに「なぜジョンとあなたの2人が時代の寵児として注目され、その動きが世界に影響を及ぼしたのだと思うか?」という趣旨の質問をされて、
「何か大きな力で、ジョンと私が選ばれ、動かされたんだと思う」
と答えていた。
誰よりも自分の意志で人生を切り開いてきたと思える人が、自分の行動の基盤となるところを説明するのに、このように受け身な言葉を返すのかと、かえってその言葉にリアリティを感じて聞き入った覚えがある。

この作品で勝新太郎さんの言葉として書かれていた「偶然こそが完全である」。
何か大きな力によって仕組まれた偶然こそを完全と看做す。
この言葉を見た時に、先述のオノヨーコのインタビューを思い出した。

人は自分には出来ない大仕事を、大博打を、大冒険を行う誰かを欲している。
自らは平凡な毎日をぬくぬくと過ごしながら、ある人には過酷な運命、過酷な環境を生きることを期待している。
そんな人に声援を送って栄光をつかむことを期待し、自らの夢を託し、時にはその失敗をあざ笑い過酷な非難をぶつけて溜飲を下げる。
まるで、祭りに生贄を捧げるかのように。

しかし生贄にされる方はたまったものではない。
だから誰もが逃げ出したり、過剰に適応して王様気取りや女王気取りになってみたり、 道化を演じて見せたり、時には自ら命を捧げたりもする。
だけど、生贄にされた自分自身からは一生逃げ出せはしない。

中途半端にその運命を引き受けてしまうと、恨み言の一つでも言いたくなるのが人情だろう。
だけど、勝新太郎という人はとことんその運命を受け入れて、恨み言を言わない。
逆にこの作品で描かれた彼の言動を見ていると、そんな自分を少し離れたところから見つめて嗤っていたのではないかとさえ思う。
パンツに隠した大麻が見つかり顰蹙の会見を開いたり、怪しい投資話に大金をつぎ込んだり。
まったく、普通に考えればバカだとしか思えない話だ。
彼は生贄である自分を題材に何かの作品を演じていたのではないか、そうも考えたくなってくる。
そう考えないと、なぜそんなにボロボロになるまで生贄でい続けたのか理解できない。

彼は最後まで何かが仕掛けた「偶然」に殉じる。
かつて自分が主演した「座頭市」のロケで死なせてしまった役者さんと同じ咽喉にガンを発症し、つぶやく。
「なぜ、ここなんだい?」

彼が筆者に語りかけた言葉。
「今、俺はお前にとって必要かもしれない。でも、いずれ俺が必要でなくなる時が来るだろう。その時は、何も言わず、離れていけばいい。無理に此処に顔を出さなくてもいい。俺は何とも思わない。それでいいんだよ」
最初は強がりに聞こえる語りかけの最後に、優しく添えられた「それでいいんだよ」という言葉に、大きな力に対して受け身である自分自身に対するあきらめと受容、そうでない他人への果てしない優しさが感じられる。
これは大きな力、すなわち「大衆」という熱狂しやすく覚めやすい身勝手で残酷な存在に対する言葉ではないかとも思う。
今では「座頭市」と言えば「ああ、北野武の」と答える私たちに対する。
座頭市」のためにたくさんのものを捧げた勝新太郎という人を、容易く忘れてしまう私たちに彼は語りかけるのだ。

「今、俺はお前にとって必要かもしれない。でも、いずれ俺が必要でなくなる時が来るだろう。その時は、何も言わず、離れていけばいい。無理に此処に顔を出さなくてもいい。俺は何とも思わない。」
そしてこう優しく言い添える。

「それでいいんだよ」

偶然完全 勝新太郎伝

偶然完全 勝新太郎伝