映画「ダラス・バイヤーズクラブ」

否応なしに座らされた暴れ牡牛の背に乗って、限られた時間を振り落とされないようにしがつく。まるで運命に逆らうかのように。

主人公ロンを象徴するもの、ロデオ、女、酒、コカイン、カーボーイハット。
映画の冒頭で、ロンが賭けロデオに興じるシーンがある。
「8秒もちこたえろ。そうすればこの金は俺たちのものだ」
ロンが牡牛に乗る男にそう話しかける。
8秒?ネットによると、どうやらこれはロデオの「ブル・ライディング」という暴れている牡牛に乗る競技のようで、8秒間乗り切ると合格となり、これに騎乗の姿勢や牡牛の暴れっぷりなどが加算され順位が決まるそうだ。
8秒と言えばあっという間に思えるが、映画ではロンが賭けた男はすぐに振り落とされてしまい、彼は賭け金を握って競技場から逃げ出す。
自堕落なサイテー男…でも、ロンがそんな男でいられるのはあとわずかだった。


それからまもなく、ロンは突然のHIV陽性、余命30日を宣告される。
この病気は映画の舞台である1980年代においては、原因も治療も未解明で誤解も多かったことから、同性愛者がかかる病気と噂され、あたかも業病であるかのような扱いを受けていた。
自らマッチョを自称するロンのこと、当然ながらゲイを忌み嫌っており、強烈に反発する。
しかし、偏見というのは往々にして当の自分に跳ね返ってくる。
自分の慣れ親しんだコミュニティーは当然ながら同じ偏見を共有しており、彼は昨日まで兄弟のように付き合っていた仲間によって弾き飛ばされてしまう。
病気そのものの苦しさもだが、なによりこの、疎外感と孤立感。
この病気は「孤独」の病だ。


余命30日。
普通だったらポキンと心が折れそうになるそんな宣告に、ロンは必死に調べ始める。
原因について、病気と症状について、そして戦い方について。
まるで神様が寄越したかのような偶然の出会いによって、彼は製薬会社が臨床実験を始めた新薬を試すが、それは身体を痛めつけるだけだと気づき、なんとかメキシコに渡り無認可薬を手に入れ余命を伸ばすことができた。
一時的な回復を得た彼は、これをビジネスにするため、同じ病を患うゲイのレイヨンをパートナーにしてダラスバイヤーズクラブという会員制クラブを作り、薬を求める者たちにそれを配布する。
それは薬ビジネスをコントロールしたい国や利益を独占したい製薬会社の逆鱗に触れ、彼は様々な障害に直面する…。


会員である患者たちのためにビジネスマンのように治療薬を求めて世界中を飛び回るロン。
とても賭けロデオやコカインに興じていたマッチョ男とは思えない変貌ぶりだ。
最初はバカにしていたレイヨンもやがて彼の優しさに気づき、ロンは逆にレイヨンの強さに気づき、互いに同志として認め合う。
人は生き方や考え方を変えると、言動が変わり、付き合う友だちが変わり、生活が変わり、ついには世界が一変するのだ。


そんな中、同志であるレイヨンが、ロンの留守中に病状が悪化。
あれほど美しく装っていながら、いつも伝線していたレイヨンのストッキング。
まるでそれは、陽気で誇り高い彼に取りついた病のようだった。
そして、最初は小さかった伝線が、最後には大きな穴にまでなってしまっている。
なぜかその穴をみているだけで、レイヨンがとうとう病気に追いつかれてしまったんだということが伝わってくる。


同志を失い、国や製薬会社という巨大な敵との戦いに度々敗れ、そして孤独はロンを追い詰め始める。
彼は強い人だ、彼は負けないと思っていた私もロンの突然の言葉に我に返る。
「俺は死なないために必死で生きているみたいだ」
「こんな人生じゃなく、別の人生を生きたい」
国や製薬会社に喧嘩を売っても、やはり病気には、運命には勝てないのか。


だけど、ちょっと待って。
ロンは余命30日という運命に甘んじることもできた。
自分を哀れんで、最低マッチョ男のまま死んでしまうこともできた。
戦うことを選んだのは彼だ。
振り落とそうとする牡牛の背にしがみついているのは、誰であろう、ロン自身なのだ。


なぜ人はロデオをするんだろう。
誰も強制しないのに、わざわざ暴れ牡牛の背に乗とうとするんだろう。
それは、運命を自分でコントロールしているという感覚を得たいからじゃないか。
制御不能な大きな何かに勝利したいと思っているからじゃないのか。


ロンは、余命30日の宣告後、7年生きたという。
彼は病とも、巨大な敵とも戦い抜いた、逃げなかった。
人生という暴れ牡牛を乗りこなしロデオに勝利したのだ。


これはそういう映画なんだと思った。


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