「レモン畑の吸血鬼」 カレン・ラッセル 著

ホラー?SF?ミステリー?作品ごとに異なる印象の、けれど、どれも際立って個性的な作品が集められた著者の第二短編集。
どの作品も、哀しさと怖さと、そしてどうしようもない愛おしさにあふれていて、読んでいる途中で息がつまるような胸の痛みと苦しさを何度も覚えてしまう。


収録されている作品は全部で8つ。
そのうちのいくつか印象的な作品を紹介すると…

「レモン畑の吸血鬼」
ソレントのレモン畑のベンチに座っている無害そうな老人クライド、実は彼は吸血鬼だ。
同じ吸血鬼の妻マグリブと一緒に、血を飲む代わりにレモンに牙を立ててすすることで喉の渇きを癒す毎日。
しかし不死の身体を持ちながら身体は衰え、クライドはマグリブとは違い蝙蝠に変態して飛ぶことはできず、この街にもレモンにも癒されなくなったマグリブが別の場所を探そうと提案しても、自分はもうついて行けないだろうと感じている。
数十年も一緒に過ごし、おそらくは世界で唯一のパートナーでありながら、妻とは分かち合えない孤独を抱える老吸血鬼の哀しみ。
彼のあるべき自分への回帰を描くラストは、怖くて、ただただ美しい。

「お国のための糸繰り」
主人公は、明治時代の日本の製糸工場で働く貧しい農村の少女たち。
その身体は募集人の男に与えらえた茶によって蚕のように変わり果て、飼育係から与えられる桑の葉を食べ口から色とりどりの糸をはき、それを自ら繰り続ける毎日。
彼女たちはまるで歌うように、自分たちは売られたのではなく「お国のために」「家族のために」望まれて、あるいは自分で望んで女工になったのだと主張する。
しかし募集人や自分たちを売った親や親類の男たちの甘い言葉に酔う彼女たちも、仲間の病気や死によって、やがて自分たちのいびつな境遇に気づかずにはいられなくなる。
女工哀史」を思い出しつつ、実は見目麗しい言葉で簡単に酔っ払っちゃう少女たちに「難しいことは何も考えない 頭からっぽでいい」「女の子は恋が仕事よ」(HKT48アインシュタインよりディアナ・アグロン」より)なんて歌を歌わせて稼いでいるおじさんたちのいる現代。
少女たちの純真を貪るやり口はまったく変わらないなあという絶望。
これこそホラーでしょ。

「帰還兵」
アメリカ軍の帰還兵にマッサージ療法の施術を提供するという法案により、デレクという若い帰還兵が療法士ベヴァリーの患者となる。
背中一面にイラクで仲間が戦死した日の景色を刺青しているデレクは、友情とともに仲間を救えなかった怒りや後悔に苛まれている。
ベヴァリーもまた10年以上にわたり病気の両親を最期まで介護し看取った誇りと、それを誰からも理解されない虚しさを背負っている。
ベヴァリーは手技によってデレクの背中から「痛み」を取り除こうと懸命にマッサージを行うが、それにつれて彼の刺青が変化し、痛みは彼女自身を襲うようになる…。
肌から肌へ何かが通じ合う、通っている整体院で毎回肩から背中にマッサージをしてもらいながら言われる「余計なものまで背負わなくていいんですよー」という言葉を思い出した。
もとより自分の荷物は一人で背負い続ける覚悟はあるけれど、時々、デレクとベヴァリーのように、少しでいいから人と人が痛みを分けあうことができたなら、と思うことがある。
そういう強さを持っていたいと思うことがある。

「エリック・ミューティスの墓なし人形」
ある日、パッとしない町のパッとしない仲間たちの集合場所である木の幹にくくりつけられた藁人形のかかし。
それはなぜか主人公ラリーが仲間と一緒にイジメていた気味の悪い同級生エリック・ミューティスにそっくりだった。
エリックは突然転校し、彼のことはすっかり忘れていたラリーたちだったが、仲間の一人がふざけてそのかかしを深い穴に落とした日から彼は悪夢に襲われ続ける。
実はラリーには、このいじめられっ子と2人だけの秘密とひどい裏切りの記憶があったのだ。
未熟な人間が、その未熟さで人を傷つけ、けれど未熟なりに精一杯の償いをしようとする姿はただただ健気だと思う。
たとえ許しを得ることができなかったとしても。


どれも荒唐無稽であり得ない設定なのに、登場人物たちの心の動きが驚くほどにリアル。
私の生きているこの世のどこかで、実は吸血鬼である蝙蝠が飛びかい、癒す手を持つベヴァリーが働くマッサージ店があり、かかしを守るかかしが立っているかも。
どこでどんなふうに暮らしていても、人の苦しみや哀しみ、喜びにそれほど大きな違いはないのかも。
そんなことが信じられる気がする、物語の力に満ちた作品集だった。


レモン畑の吸血鬼

レモン畑の吸血鬼