「聴く」ことの力―臨床哲学試論 鷲田清一著

「聴く」ことからホスピタリティの真価を探る。ケアの仕事に就いている人、他者との関係性について考えている人は一読の価値あり。人は他者と相互補完的に関わり合うことで自分の存在意義を確認する事が出来るのだ。

子どもの頃から新聞の読者からの悩みごと相談の欄が大好きだった。

かの欄で訴えられる悩みごとは実は類型的で、家族のこと(嫁・姑、子どもの非行)、夫婦のこと(夫の浮気、自分の浮気、離婚)、恋愛(結婚)のこと、金銭的な問題のこと・・・。
たいていの相談はこのようなパターンの中の一つなのだけれど、回答は回答者の数だけ千差万別だ。
回答者が相談者のことを思い、応えたその回答には、明らかに回答者の個性と人生観が滲み出ている。
案外この欄は回答者が主役なのではないかといつも感じている。

人の話を「聴く」こと。
簡単に思えるが、これが実はとても難しいということを、特に病人や傷ついた人のケアの現場にいる人は実感しているのではないだろうか。
人の語りを延々と聴くことで、自分の中からエネルギーが奪われてしまう気がする・・・。
私の身の回りでも、そんな言葉を聞いたことがある。
そうして他者の語りを「聴く」ことに疲れた時、私はこの本を手に取る。

著者はこう言う。

アイデンティティには必ず他者が必要だ。」

「聴く」とは、一方的に他者の話を聴いている、受動的な立場だと思われるが、実は他者の話を
聴きながら、同時に、自分の中にある何かが感応していると言うのだ。

そして更に、「聴く」だけでなく、「応える」ということは、

「自己を差し出すことであり、その意味で他者とのぬきさしならぬ関係のなかにきずつくこともいとわずにみずからを挿入してゆくこと」だと著者は語る。

つまり、

「「聴く」ことは、他者を支えるだけでなく、じぶん自身を変えるきっかけや動因ともなりうるものなのだ。」

そう、つまり人は他者との会話を通じて、時には傷つき、時には共鳴しながら、実は自分自身を変容させているのだ。
そして気づく。他者は私のために語っているのだということに。

何かを語って、それに応える人がいる。それが相互補完的でないわけがない。

この本には、何度も何度も読み返し、そのたびに新しい発見がある。
私もこの本を通じて、著者の言葉を「聴いて」自分を変容させているのかも知れない。

「聴く」ことの力―臨床哲学試論

「聴く」ことの力―臨床哲学試論