「からのゆりかご 大英帝国の迷い子たち」 マーガレット・ハンフリーズ 著

著者が明らかにした余りにも重い事実と、彼女が挑んだ絶望的な戦い。正直「大変な本を読んでしまった」という感想。しかしこれは間違いなく、語られるべき、聞くべき、読むべき物語だ。



子供の頃、夏休みは母の実家に長期滞在するのが毎年の行事だった。
7人兄弟である母のおかげで、私には両手の指では足りないほどのいとこ達がいて、たくさんの「おねいちゃん」「おにいちゃん」の後を追いかけながら、川と山と牛たちに囲まれて暑い暑い夏を過ごした。


午前中に片付ける夏休みの宿題、生ぬるいスイカの味、少し鬱陶しいおじやおばの小言、蚊帳の中で聞くいとこたちの怪談話、毎晩のように点けられるたくさんの花火。
母の実家の前を流れる川で、いとこが一人、私が生まれる前に亡くなったのだと聞かされた。
以来、怖くて怖くてその川に足を入れることさえ出来なくなり、年上のいとこ達にからかわれて泣いた。
幼いいとこを連れて行ってしまった川でさえも、いとこの死を機におじが架けた橋を渡るたび、私の胸に血の繋がった人々との数々の思い出を呼び起こす大事なピースの一つだ。
そして人生の半ばを過ぎて、今の私には、そんなピースの数々こそが、私をこの世に結びつけまっすぐ立てるように支えている根っこだということがわかっている。


しかし、幼い子供の頃に、これらの自分を結びつける根っこと突然引き離されたら、人はどれほど苦しい思いをするのか。
その答えはここにある。
この本は、全編その苦しみと辛さで満ちている。


この本の著者は、自らも十代で次々に身内を喪った体験をしたことにより、家族やその思い出を失った人に、強い共感を持つ。
ソーシャル・ワーカーとして働く中、育てることの困難な赤ん坊を母親の手元から養子に出すというつらい仕事を通じ、彼らが大人になった時、そのルーツを探す手伝いをしようとささやかな活動を始めた。


ところが、彼女の元にオーストラリアのある女性から手紙が届く。
そこには自分は4歳の時にイギリスを出て、オーストラリアに送られた、と書いてあった。
著者は考える。
そんなことがあるわけない、子供だけでイギリスからオーストラリアまで渡るなんて、そんなとんでもない話があるわけがない。
そんな時、たまたま身近な知人からも、弟が幼い頃にイギリスからオーストラリアに移民として送られたという話を聞く。
これは、本当の話かも知れない…調べてみよう。
その時から、著者の、最終的には国という余りにも大きな敵を相手取っての長い戦いがはじまるのだ。
国に捨てられた、13万人とも言われる児童移民たちを救う戦いが…。


国の側にも理屈がある。
経済的な困窮と周囲の無理解のなかで、孤立する母親の救済。
チャンスに恵まれない子供たちの新しいスタート。
過密な収容施設で行き届かない子供たちの観護。
これらは児童移民に関わった慈善団体や宗教団体も同じだ。
彼らはむしろ善いことをしたと言わんばかり。
そのため著者が児童移民トラストを作り活動を始めても、英国は殆ど支援をせず、宗教団体からは嫌がらせを受ける。


しかし著者の目的は国と戦うことではない。
児童移民たちに一日も早く家族の思い出を取り戻すこと。
どの人も一様に「会いたい」と訴える家族、特に母親に会わせること。
この著者の目的は、児童移民の調査を始め、1987年に児童移民トラストを設立してから最後まで全くぶれない。


過去から引き裂かれた人々の中には、オーストラリアに渡って過酷な虐待や仕置きを受け、精神的な不安定さを抱え、病気に悩まされて自殺を図った者もいる。
しかしカウンセリングに行っても、そもそも原因を探る質問にも答えられない。
知らない、思い出せないから。
母親どころか自分の名前も誕生日も本物かどうか確信が持てないのだ。


やがて、児童移民の声だけではなく、本国に残った彼らの家族の声を聞くうちに、著者は気づく。
子供たちだけではない。
子供を手放した親にも、知らされていないのだ。
自分の子どもが1万数千キロも離れた別の国に送られたことが…。


彼らは口々に著者に訴える。


「私たちあなたを一生かけて待っていたんですよ。いったいあなたはどこにいたの?」

「私が誰であるのか知って死ねるように手を貸して下さい」

「私たちは待ちに待ったんだ。だけど、きっといつか誰かが来て問いかけてくれると思っていたよ。今日がその日だ」

「いったいあの子に何が起こったのですか?新しい家族になって下さった方たちは可愛がって下さらなかったんですか?」


過大な期待と責任に押しつぶされそうになりながら、著者は病気に倒れ、自分と自分の子供達に向けられた脅迫に怯えながらも資金難の中、活動を続ける。
1人でも多くの人に、出来れば、生きて家族と再会をさせるために。
彼女の何年間にも渡る活動はやがて、傷つき故国への信頼を失った児童移民の人々の心を開き始める。
そしてそれが今度は国を動かすことになって繋がっていくのだ。


著者が明らかにした余りにも重い事実と、彼女が挑んだ絶望的な戦い。
正直「大変な本を読んでしまった」という感想。
しかしこれは間違いなく、語られるべき、聞くべき、読むべき物語だ。



追記  ついに2009年にオーストラリアの首相が、2010年には英国の首相が正式に<児童移民>の事実を認め、謝罪をしたという。それで終わる話ではないが…。



からのゆりかご―大英帝国の迷い子たち

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