「流」 東山 彰良 著

あぁお腹がいっぱい!


一読して、とにかく頭がクラクラしてる。
今年の直木賞受賞作品。
話題作は、いつもだったら落ち着いた頃にゆっくり読むことにしているのだけれど、たまたま受賞のニュースの前に著者の「さよなら的レボリューション 再見阿良」を読んで、受賞作にすごく興味がわいたので出張のおともに購入した。


主人公は台湾に住む葉 秋生(イエ チョウシェン)。
彼の家族は、先の戦争で国民党の一派として中国本土で共産党と戦った祖父の葉 尊麟が逃れ落ちた台湾に住んでいる。
尊麟はいわばヤクザ者で、かつて故郷の山東省で自分の村を全滅された報復に、仲間と一緒に日本軍の間諜だった男をその村ごと全滅させたこともあり、その村には匪賊である祖父の名を刻んだ黒曜石の碑が建てられている。
自ら「ならず者の王」を名乗っていた祖父だが、唯一の孫である秋生にはめっぽう甘く、彼を誰よりも可愛がっていた。
しかし1975年、秋生が17歳の年に祖父は何者かに殺され、その死をきっかけに秋生の運命は大きく変動していく…。


本書は、秋生と家族、祖父のかつての仲間たち、級友や仇敵、親友の小戦、初恋の相手である毛毛、人ならぬお狐様や幽霊までも登場し、とにかくにぎやかで贅沢な作品だ。
一気に読み終え、祖父を殺害した犯人を捜すという主旋律に、友情や初恋、国や政治という盛りだくさんの副旋律が絡み合い、共存し、いつの間にやら壮大な曲を聴き終えてしまったような脱力感が…。
登場人物それぞれのキャラがかなり際立っていて、読み終えたあとも「あれから彼らはどうしているんだろう?」とまるで実在の人物のように思い出してしまう。
そして、鮮やかな色彩に満ちた台湾の街中を、秋生がその足でスクーターでオレンジ色のスポーツカーで疾走しているイメージが鮮やかに蘇るのだ。


ところどころで笑い出すユーモアにあふれた作品なのに、本書を読んでいると不思議にもの悲しい気持ちが湧いてきた。
なんだろう、この気持ち。
思い出したのは中場利一さんや井筒和幸さんの一連の作品たち。
「あほだなあ」と大笑いしながら、その底を流れるどうしようもない哀しみみたいなものに涙ぐむあの感じ。
ああ、これが本書にも共通している気がする。
その哀しみの正体を考えていると、親類たち、特に数多い従兄弟たちとの子供時代からのあれこれを次々に思い出した。


どの一族にも、大言壮語するが何をやらせても失敗する明泉叔父みたいな人がいて、その尻拭いをする主人公の父や小梅おばさんみたいな人がいる。
理由もなにもなくただただ主人公を愛おしむ祖父のような人がいて、男気を教える宇文叔父のような人がいる(え、いませんか?)。
もちろん肉親の関係というものは、愛憎入り混じる複雑なもので、いいことばかりではくて、理屈が通じなくて、でも切るに切れない結びつきがあって、離れたいだけど離れがたい宿命みたいなものがあって…。
一言では括れない、それが血族、一族の複雑さなんだ。


また本書もそうだが、中国・台湾の近現代小説を読んでいると、「国」とか「政治」が生活のすみずみに大小の影響を与えていることが感じられる。
私たちは生を享けた国とその国を治める政治体制というものから完全に逃れることはできない。
生まれ落ちたその時から、人が逃れられない境遇、運命、そしてその哀しさ。
それはその血族や一族に生まれるということととても似ている。


本書を読んで、台湾に生きるということは常に大陸中国を意識しながら生きるということだということ、日中戦争によってたくさんの人が古傷を抱えながら生きているということ、日本が今微妙なバランスの上にあるということを知る。
そして、国や時代によっては人の命の価値にも格差があるということも、教科書よりも詳しく、生々しくこの作品は教えてくれる。
だけど一方で、人は国や綿々と連なる血族の歴史に縛られると同時に、どんな境遇にいても、その人生の一瞬一瞬に輝きと喜びを見出すことができるということも、この作品は教えてくれる。
この先どんな運命が待っていようとも。
それがなにより人を前進させる原動力になるということを。

追記
訂正 2015.9.7


流