「香港パク」 李 承雨 著

なぜなら、幻の船の到来を語る道化師以外に希望を託すものがない、という哀しみ。それは決して著者の住む国にだけ存在するものではないのだから。


韓国の小説家、李 承雨(イ スンウ)による8つの作品が収められた中短編集。
本書を読んでいると、先日読んだ台湾や中国の小説を読んでいる時と同じく、親和性が高いというか、欧米の小説を読む時のような「よそいき感」をあまり感じない。
むしろ、この本の登場人物たちの抜き差しならない立場や社会における閉塞感や庶民としての哀しみなどに、とても近しいものを感じる。


さて、収録作品のうちいくつかを紹介すると。

「香港パク」
ある日、主人公は「東南アジア地域から輸入禁止の爬虫類を密輸した容疑で捕まった男たち」の映像をTVニュースで見つける。
悄然と俯いた逮捕者たちの中に一人図々しく顔を晒して立つ男、それは彼がかつて働いていた職場で不思議な存在感を放っていた男パク・ホンダル、通称「香港パク」だった…。
「香港パク」というあだ名は、彼が暴君のような社長に暴言を浴び暴行を働かれるたびに呟いていたこんな言葉に由来する。

「香港から船さえ入港してみろ、こんな職場辞めてやるよ……」

なぜ香港なのか、どんな船なのか、いつ入港するのか、一切説明はなくただただ繰り返されるその言葉。
いつしか同僚たちも、砂を噛むような毎日の中で、なぜか待つようになってしまう…香港からやって来て皆を救うはずの「船」を。


「首相は死なない」
19年前に異民族の支配から国民を解放し熱狂的な支持を得て首相となった男が死んだ、と噂が流れる。
しかしその噂は、数日後に首相が元気な姿をTV画面上で見せたことで否定される。
実は過去にもこのようなことがあり、その度に死の噂が立っては打ち消される、ということが繰り返されてきた。
小説家K・M・Sはふとしたことからある疑問を抱く。
首相はもしかしたら本当に死んだのではないか?それももっと以前に。
彼は小説家としての想像力を発揮し、そのことを小説として発表しようとするのだが…。


「迷宮についての推測」
「迷宮」といえば、ミノス王の手になるクノッソス宮殿
語り手はこのミノタウロスが閉じ込められたという伝説の迷宮について書かれた一冊の本を題材に「なぜこの迷宮が作られたのか?」という謎を異なる4つの視点から論じる。
どこまでが真実でどこまでがフィクションなのか…。
作中作のジャン・ドゥリュックという作家による『迷宮についての推測』の紹介という形をとりながら繰り広げられる迷宮についての異なる推測、小説家の中で広がる想像力にわくわくさせられる。


「日記」
つまらない喧嘩で拘置所に入れられた弟を訪ねる気の重い休日。
急に同行すると言い出した妻は道すがらマイホームを手に入れる夢を主人公に語り続ける。
拘置所にいるのは、罪を犯した身内のためにやはり一日がかりで数分間の面会に集まった疲れた様子の家族たち。
なんでもない一日の出来事が淡々と綴られているのだけれど、主人公の、大切な家族に何もしてあげられない無力感、どうしようもない哀しさ、情けなさみたいなものがじんわりしみてくる。
こんな一日を繰り返し、私たちは小さなため息とともに日々を重ねて生きていくのだ。


他に「宣告」「白い道」「太陽はどのように昇るのだろうかーマングース族の話」「洞窟」があり、いずれもちょっと現実からずれた別世界を現実の人間がさまよっているような、寓話を読んでいるような不思議な読感の物語たち。
「白い道」のおかげでバーバーの「弦楽のためのアダージョ」がしばらくメリーゴーランド曲になっている。


物語のいくつかに神と人間の関係についての著者の考察(それは巨大な権力と庶民という形をとることもあるのだけれど)が反映されているのかなあと感じられるがあったのだけど、Wikiで著者の神学を長く学んできた経歴を見て納得。
だけど著者の視線は、神や大きな権力に翻弄される無力な庶民に注がれていて、著者が描く彼らのささやかな希望、夫婦間の溝、小さな嘘や卑怯、無力感などに、あぁ君も、あなたも、という気持ちがこみ上げる。
なぜなら、幻の船の到来を語る道化師以外に希望を託すものがない、という哀しみ。
それは決して著者の住む国にだけ存在するものではないのだから。

香港パク

香港パク