「反省させると犯罪者になります」 岡本茂樹 著

人が人に関わるということは本当にしんどいことだ。だけど、世の中には、そのしんどさを避けて、簡単にしてしまってはいけない、分かりやすくしてはいけないものがあるのだろう。人と真剣に向き合うためには、きっと、惜しんではいけない時間が、手間が、あるのだろう。


複雑なことを人に説明する時に、仕組みや成り立ちから説明をするとなかなか理解してもらえないのに、あえて「得か損か」のように二項対立、単純化して説明をするとたちどころに納得してもらえることがある。
便利な手法なので、つい多用してしまうのだけれど、最近この二項対立のような分かりやすさこそ危ういなと感じることが増えた。


「分かる」ことと「身につく」「骨身にしみる」ことは別物で、たとえば、「悪い」と分かってはいても、ついやってしまうことってある。
人に「二度としない」と深い決意をさせるためには、おそらく分かりやすさ以外の何かが必要なのだろう。
だけど、忙しさの中、つい時間を、手間を惜しんでしまう自分がいる。
効率的に片付けたい自分がいる。


そんなことを考えている時に本書を読んだ。


学校や少年院、刑務所などで悪いことをした者に度々書かせる「反省文」。
これこそ、目に見える反省の気持ちのバロメーター、分かりやすさそのもの。
筆者は、この反省文こそが、本人を反省させず、むしろ悪しき言動を助長すると主張する。


一言で言えば、反省文は、反省文を書かされた人の「本音を抑圧させている」ということです。そして抑圧はさらなる抑圧へとつながり、最後に爆発する(犯罪を起こす)のです。


「反省させると犯罪者になります」というちょっと刺激的な題名はここから付けられている。


本書によると、人が間違ったことをしでかして、それが見つかった時、捕まった時、罰せられた時、まず生まれるのは怒り…そして次に後悔、そして最後に生まれるのが「反省」なのだという。
この過程は、人によってはすぐかも知れない。
もしかしたら最期まで「反省」を知らずにこの世を去る者も、いるかも知れない。


また筆者は、現在刑務所や少年院などで積極的に行われている「被害者の身になって考えさせる」方法についても、真剣に事件に向き合い、二度と同じような罪を犯させないためには、実は逆効果なのだと主張する。
本当に効果があるのは、「加害者の身になって考えさせること」。
そう、自分自身と向き合うことが、実は反省、再犯防止への近道なのだと主張するのだ。


人間の心というのは、簡単には割り切れない。
反省しろと人に言われて「はい分かりました」とすぐに答えにたどり着けるわけはない。
答えは自分の中にしかないし、その答えを見つけて、咀嚼し、自分の血肉になるまでには、おそらくほとんどの人がたくさんの時間を必要とするのだ。
つまり反省文などは、単に監督する者が、悪いことをした者を解放する上でのバロメーターでしかなく、真に彼らが反省をしたのか見届けたいなら、監督者は、彼らが答えを見つけ自ら変化するまで、どれだけかかるか分からない時間を、最後まで付き合う覚悟が必要なのかも知れない。


あーしんどい。
人が人に関わるということは本当にしんどいことだ。
だけど、世の中には、そのしんどさを避けて、簡単にしてしまってはいけない、分かりやすくしてはいけないものがあるのだろう。
人と真剣に向き合うためには、きっと、惜しんではいけない時間が、手間が、あるのだろう。


反省させると犯罪者になります (新潮新書)

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