映画「風立ちぬ」

夏目漱石の俳句にこのようなものがある。

菫程な小さき人に生れたし

この映画を観た後に思い出したのは、漱石のこの句のことだった。


漱石は自分の持つ優秀さ、天才性に恐れ慄いた瞬間があったのではないかと思う。
そしてそれを誇りに思う一方で、それを頼りにする自分、それを追求する心、そして一方で、なによりもその自分自身を嫌悪する気持ち。
勝手な解釈だけれど、小さき人に生まれたしとつぶやくのは、一方で自分は他の人よりも「大きな人」ではないかという自負、そしてそのことに対する慄き、含羞、躊躇などがあったのではないかと思うのだ。


ところで、この映画の主人公。
何よりも美しい飛行機、世界でも通用する実用的でいて美しい飛行機を作る、そんな夢と才能とその機会に恵まれていながら、決して衒いがない。
己の才能を誇示したり、夢のために頑張る自分をアピールしたりするような、人間的とも言える衒いがない。


ところが、一方で、この主人公には漱石のこの句に見られるような慄き、含羞、躊躇がない。
自分の才能やその結果として生まれた飛行機の、戦争における影響力、それを利用する軍部の浅はかさ、そのようなものに思いを馳せ葛藤する様子がない。
葛藤があったのかも知れないが、そこをあえて見せないように演出されたのなら、監督自身の感性を反映させたのがこの主人公であるのだろう。


彼は、自分の夢を叶えることに迷いがなく、夢と関わらない周囲の人間は「モブキャラクター」にでも見えているようだ。
それは身近な妹に対する態度を見ていてもよく分かる。
通常であれば、非常に共感を得にくいこのような人物に、とってつけたような恋愛が降って湧く。
けれど、それも「美しさ」というスタイルを互いに競って追求するような生々しさのない恋愛になっている。
結局、恋愛は描いているものの、それによっても主人公の夢は揺るがない、仕事か妻かと葛藤することもない。


映画の中で主人公が問われる。


「ピラミッドがある世界とない世界はどちらがいいか」


でも、本当の問いは

堀越二郎(あくまでも映画の中の)のいる世界といない世界はどちらがいいか」

かも知れない。
自分の作ったもののもたらす結果に影響を受けることなく、自分の夢を追求する強さを持つ人。
彼らのおかげで、この世に美しい作品が生まれ、それらは人々の暮らしを豊かにしたり精神世界を深めたりすることだろう。
しかし一方で、それを利用する人の中に愚か者がいて、彼らの作品によって死に至る人々がいる。


「夢は狂気をはらむ、その毒もかくしてはならない。美しすぎるものへの憬れは、人生の罠でもある。美に傾く代償は少なくない。」


宮崎駿監督はパンフレットでこう綴っていた。
おそらく、彼自身は慄き、含羞、躊躇を知る人なのだろう。
それなら、あえて問いたい。

果たして「堀越二郎」のいる世界は幸福なのだろうか。
その世界に住む人々は幸福なのだろうかと。


風立ちぬ・美しい村 (新潮文庫)

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