「アックスマンのジャズ」 レイ・セレスティン 著

「ジャズを聴いていない者を殺す」

禁酒法の発行間近の1919年4月。
暴力や人種間の争いが蔓延するニューオリンズの街に、斧を持った殺人鬼アックスマンが現れ、「ジャズを聴いていない者を殺す」という予告を新聞社に送りつけ、住民たちを恐怖に陥れる。
ホラー映画のあらすじではない、なんとこれ、実在の事件だと言う。
この事件を題材に作者は、アックスマンを追う3人の魅力的なキャラクターを創造。
黒人女性との結婚をひた隠して生きる刑事、その師匠でマフィアに通じて刑事の職を失った男、探偵志望の混血の若い娘、それぞれが独自の方向から犯人を追い詰める。
そしてニューオリンズといえばもちろんジャズ。
そこでルイ・アームストロングを思わせるルイス・アームストロングというコルネット吹きが幼馴染アイダの協力者として登場し、ストーリーの合間に魅力的な演奏を繰り広げる。

盛りだくさんの要素を盛り込んで、混乱するかと思いきやストーリーはスマートに大胆に進行し、読み易い。
ただし異なる人種が入り乱れ無法地帯と課すニューオリンズの街は活気と猥雑さに満ちて、まさにジャズそのもの。
この街こそがこの作品の主人公なのかもしれない。
英国推理作家協会の最優秀新人賞受賞作。


アックスマンのジャズ (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

アックスマンのジャズ (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

映画「スリービルボード」

ミズーリ州の小さな町で、一人の娘がレイプされ、火をつけられて殺された。
その母親ミルドレッドは事件の捜査が行き詰まり放置されていることに怒り、町外れに立つ大きな3つの看板に警察署長に対する抗議を真っ赤な一面広告として貼り出した。
家族や地域住民に愛される温厚な署長は、実は重い病におかされており、そのことを知る住民たちにとってその看板は無情かつデリカシーのない代物で、警察官だった元夫を含め、人々は彼女に対する反感を募らせる。
特に人種差別主義者であり、日頃から黒人などに対する行き過ぎた捜査や暴言・暴力を繰り返すディクソン巡査は、署長への敬慕からかミルドレッドにあからさまな反感を示し、卑劣な嫌がらせを繰り返す。
しかし何者にも怯まず、頑固に、怒りを煮えたぎらせるミルドレッド。
けれどこの怒りは新たな事件を生み出すことになり…。

映画を見て思い出した。
大学院時代、ある文献をゼミ生仲間と手分けして下訳していた時に読んだ、「怒り」とは、まず人の心に一次的に発生したネガティブな感情(例えば悲しみ、恐怖、寂しさなど)が外部に表出される際の二次感情である、という言葉。
当時は、いや怒りこそは外部からの刺激によって突発的に生まれる一次的な感情だろうと思っていたから意外で、以来自身の「怒り」を観察するきっかけになった。
すると、確かに私の「怒り」も、改めて観察すると、感情の高ぶりをアピールするための演出や単に高揚感を上げるための燃料だったり、または敵から身を守るための武器となったり、つまり私は怒りを便利な道具として使っていることに気付かされた。

また、怒りは癖になることにも気づいた。
反射的な怒りの放出に慣れてしまうと、周囲の慄きや遠慮がなんとも心地良く、また怒りを放出した方が物事がスムーズに進むようにも感じられ、ますます怒りという道具が重宝になる。
そして同じ手法を採用している他者が繰り出す怒りを打ち砕き勝利するためには、その怒りと同じか、それ以上の激しい怒りを放出せざるを得ない。
だから映画でもミルドレッドやディクソンが繰り広げる「怒り」と「怒り」の応酬はどこまでもきりがなく、切なく、苦しいばかりで出口が見えない。

ところが、あることをきっかけに2人は変わり始める。
それは、ある意外な人物からミルドレッドに提供されたあの悪評高い3つの看板の広告料。
または、ある人物が恨みと痛みをこらえながら傷だらけのディクソンに差し出した一杯のオレンジジュース。
「怒り」に対して、他者から「怒り」ではないものを差し出された時、人は戸惑い、怒りに逃げることが出来なくなってしまう。
その時人は、怒りの奥底に眠っていた本当の感情、哀しみや恐怖に気づき、それと向き合わねばならなくなる。

「怒りは怒りを来す」

怒りは自分だけでなく、周囲の人々を傷つけ、新たな怒りを、そして悲劇を呼び覚ます。
徐々にそのことを学び始めるミルドレッドとディクソン。
しかし、これまで散々自らの負の感情を怒りによって解消してきた彼女らは、苦しみを、悲しみを和らげる手段を他に知らない。
ラストでこの2人が、にわか同行者となったものの、行き場のない苦悩を解消する手段を探しあぐねて、途方にくれた顔で車窓からの景色を眺める。
まるで知らない土地に放り出された幼な子のように。
願わくば、この幼な子たちが、決して優しくはないこの世界を生き延びるために、怒りを手放し他者と折り合うすべを学ぶことができますように、と祈る。
そして私もまた、それを見つけ、怒りを手放すことができますように、と。

「屋根裏の仏さま」 ジュリー・オオツカ 著

世界はたくさんのたくさんの異なる「わたしたち」で出来ている。どれもかけがえのない大切な「わたしたち」で。

写真だけを頼りに新世界アメリカに旅立った日本人の「写真花嫁」たち。
彼女たちを待っていたのは、写真とは似ても似つかぬ男性や、約束された住まいや仕事とはかけ離れた過酷な境遇、そして差別。
懐かしい故郷、母の元には、帰ろうにも帰れない。
ここで生きて行くしかないという諦めと覚悟を、今度は戦争が引き裂く。

一人称複数の「わたしたち」だけで書かれた物語に、ただただ圧倒される。
まるで詩のように、心地よく、さざ波のように繰り返すたくさんの「わたしたち」。
かつて確かに存在した私の同胞たち。
その手を取って慰めてあげたい同志たち。

最後に、日本人花嫁たちだけでない別の「わたしたち」が語り手となり、気づく。
世界はたくさんのたくさんの異なる「わたしたち」で出来ている。
どれもかけがえのない大切な「わたしたち」で。


屋根裏の仏さま (新潮クレスト・ブックス)

屋根裏の仏さま (新潮クレスト・ブックス)

「許されざる者」 レイフ・GW・ペーション 著

スウェーデン・ミステリ界の重鎮の代表作で、CWA賞、ガラスの鍵賞など五冠に輝いたという惹句もむべなるかな。

本書の主人公は、物語の冒頭で突然脳梗塞で倒れた元国家警察庁長官ラーシュ・マッティン・ヨハンソン。
命拾いをしてゆっくりリハビリに励むはずが、思いがけない主治医からの頼みで、迷宮入りとなった25年前の少女殺人事件の真犯人を探すことになる。

北欧ミステリらしい硬質な文章が、人間味にあふれた主人公、心配する妻やかつての相棒、破天荒な兄や捜査を手伝う義弟と謎めいた青年などの登場人物たちを軽快なテンポで生き生きと描写する。
無能な刑事が担当したことによって長年眠っていた迷宮事件の謎が、ヨハンソンの推理で徐々に明らかになる展開にページをめくる手が止まらない。

病に倒れたヨハンソンが、死を間近に感じながら、一刻も早い、そして真っ当な事件の解決を願いつつ、一方で曲げてはならない刑事としての信念や正義のあり方を再確認していく過程が胸に響く。
また若い頃なら読み飛ばしていたような、さりげないシーンに表れる夫婦の心の機微や家族の温かさにも涙腺が刺激された。

いかなる慈悲をも与えるな。命には命を、目には目を、歯には歯を、手には手を、足には足を。(申命記19章21節)

作品のモチーフであるこの言葉が、ラストに突き刺さる。
最近読んだ本の中ではピカ一の面白さで、本邦初と聞き、出来ればシリーズ最初から読みたかったかなあ。


許されざる者 (創元推理文庫)

許されざる者 (創元推理文庫)

「アルテミス」 アンディ・ウィアー 著

「火星の人」のテイストそのままに、次の舞台は月。
挑戦するなあ、著者。
重力が地球の1/6という環境で、まさに縦横無尽に飛び回る(文字通り)大活躍で月面都市アルテミスの危機を救うヒロインはジャズ・バシャラ。
優秀な頭脳を持ちながらも男を見る目のなさが祟り、父親に勘当され月面都市アルテミスの最下層で暮らす彼女が、科学知識やエンジニアとしてのセンスを活かして月面における殺人と陰謀の謎を解く!

あらすじもわくわくドキドキだけど、面白かったのは月面都市アルテミスの設定そのものにもある。
住民たちはいずれも多様な人種、国、宗教を持っており、それぞれに地球上のしきたりや仲間意識をちょっとずつ月世界にも持ち込んでいる。
そしてそれぞれの付き合い方、折り合い方がとてもスマート。
地球と同じく、お金持ちには天国だけど、逆の場合はそれなりに。
けれど才覚次第で稼ぐチャンスも転がっているというのは、新しい人類の開拓地ならでは。

それにしても、「火星の人」でもつくづく感じたが、宇宙空間ではかくも人間というのは弱く脆い存在なのか。
それでも人は宇宙を、新しい世界へ旅立つ未来を志向する。
だからこそ、人は多くの知識を学ばなければならないし、そしてさまざまな考え方を持つ他者と衝突せずに共存する知恵を学ばなければならないのだと考えさせられた。

アルテミス 上 (ハヤカワ文庫SF)

アルテミス 上 (ハヤカワ文庫SF)

アルテミス 下 (ハヤカワ文庫SF)

アルテミス 下 (ハヤカワ文庫SF)

「晩夏の墜落」ノア・ホーリー 著

晩夏のある日、年齢も境遇もばらばらな11人の乗客を乗せたプライベートジェットが、海に墜落した。
その事故で奇跡の生還を果たした主人公と4歳の少年を巡り、事故の真相を探るため、好奇心を満たすため、あるいは野心を実現させるため、人々はそれぞれ思惑を抱いて彼らに接近する。
本書は、事件後この生還者2人をめぐるドラマと並行し、死者たちも加えた「その時まで」の人生を交互に描く。
それによって分かるのは、主人公も死者たちも、誰もが理由なく、善悪や貧富、年齢とも関係なく、理不尽に「生」と「死」のどちらかに一刀両断されたということ。
そのことは、多くの犠牲者を生み出す大規模な天災や事故の残酷さと、それらが起こるたびに感じる「なぜ私ではなくこの人たちだったんだろう」という気持ちを思い起こさせる。

「神は人間を、賢愚において不平等に生み、善悪において不公平に殺す」
とは山田風太郎さんの言葉。
本書を読んでこの言葉を思い出した。
こんな理不尽な神の選別に対して、人間は何ができるのか?
主人公の行動と選択は、この問いに対する答えの一つと言えるかもしれない。


晩夏の墜落 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

晩夏の墜落 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

晩夏の墜落 下 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

晩夏の墜落 下 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

「ナショナル・ストーリー・プロジェクト Ⅰ・Ⅱ」 ポール・オースター編

どの人にも、語るべき物語がある。

ラジオ番組で、ポール・オースターが全米のリスナーに彼の番組で読む実体験に基づいた短い物語を募集。
すると彼の元には4000を越すストーリーが寄せられた。
その中から選ばれた179の作品がこの文庫版のⅠ、Ⅱの2冊に収められている。
全てを読み終わると、まえがきにあったポール・オースターの言葉が胸に染みてきた。

私たちにはみな内なる人生がある。我々はみな、自分を世界の一部と感じつつ、世界から追放されていると感じてもいる。一人ひとりがみな、己の生の炎をたぎらせている。

本書に収められたさまざまな境遇にある人々の物語を読むと、こんなに混沌とした世界であっても、私たちの生活はバラバラに存在しているのではなく、人種や国境、性別、年齢などを超えた共通の基盤のようなもので繋がっているのかもしれない、と信じられる気がする。
だから本書に集められた物語は、それが「愛」についてであれ、「家族」についてであれ、「夢」についてであれ、どれもしごく個人的なものであると同時に、どこか普遍的なものであるかのように感じてしまうのだろう。
どの人にも語るべき物語がある。
だから人は一人ひとり誰もが尊重され、大切に扱われなければならない。
私たちは、その語りに耳をすまさなければならないのだと、そんなことを思った。

ナショナル・ストーリー・プロジェクト〈1〉 (新潮文庫)

ナショナル・ストーリー・プロジェクト〈1〉 (新潮文庫)

ナショナル・ストーリー・プロジェクト〈2〉 (新潮文庫)

ナショナル・ストーリー・プロジェクト〈2〉 (新潮文庫)