「幻の楽器 ヴィオラ・アルタ物語」 平野真敏 著

20世紀初頭のドイツで発明され、かのワーグナーが重用したという伝説的な楽器ながら、今では弾かれることもなくなったヴィオラ・アルタ。遠い日本で見つかったこの楽器の出自と足跡を追う心踊る旅。


最近滅多に手に取ることの減った楽器を久しぶりに使ってみると、なんだか最初はよそよそしい態度を取られらてしまう(気がする)。
音出しと運指の練習をするうちに、いつの間にやら手に馴染んでくるのだけれど、そんな時、楽器も生きてるんだなあと思う。
高校の部活で愛器に名前を付けている同級生がいたが、何年も使い込んでいるうちに、いつの間にやら擬人化してしまうほど愛着を感じてしまうのは何だか理解できるような気がする。
それほどに人は音楽を愛し、音を奏でる相棒として楽器という存在を大切に感じているのだろう。



本書の著者平野真敏氏は、芸大を出てヴィオラ奏者として活躍していたが、ある時楽器店の片隅に眠る不思議な楽器に出会い、やがて、その出自と足跡を追ってはるばる欧州まで旅をすることになる。
楽器の名前はヴィオラ・アルタ。
大きさはチェロよりは小さく、ヴィオラよりは大きい。
ドイツのH・リッターという教授が発明し、かのワーグナーが重用したという伝説的な楽器ながら、リッター教授の死後、人気を失い今では弾かれることもなくなったという楽器だ。
ふとした思いつきでヴィオラ・アルタを演奏してみた著者は、その端正な音に魅せられる。

不思議な音色だった。自分が弾いているのに、音が遠くから歩み寄ってくるようだった。

そこには、地底から唸るような響きはない。直接的な表現で怒りや悲しみを吐き出すこともさせなかった。感情に任せて思いをぶちまけるのではなく、一つ一つの言葉の意味を大事にしなさい、と諭されるような、端正な印象だった。

これほどの魅力のある音を出すこの楽器はそもそもなんのために作られ、どうして突然音楽の歴史から姿を消したのか。
著者は楽器が作られた工房を探し、さらに製作者のリッター教授の著書を求め、次々に起こる出会いと偶然から、遂にはオーストリアワーグナー協会の主催でもう1人のヴィオラ・アルタ奏者とともに世界で2人だけの奏者として演奏会を開くに至るのだ。


果たしてヴィオラ・アルタの謎は解けるのか。
著者の謎解きが進むにつれ、実はこの楽器が、20世紀ヨーロッパの歴史とワーグナーの音楽という大きく重いものと絡み合い、翻弄されてきたことが明らかになる。
やがて、表紙に映るヴィオラ・アルタのその端正な模様と美しい曲線を見つめていると、まるでこの楽器が運命に弄ばれる薄幸の美女にも思えてくるのだ。


著者のヴィオラ・アルタの演奏は、現在動画サイトでも視聴可能。
複数の曲を鑑賞できるが、私は、不幸な運命にも耐え、今まで遠い日本の片隅で生き残ってきた美女にふさわしい、「浜辺の歌」が一番好きだ。
哀愁漂うヴィオラ・アルタの音色に、歴史のロマンを感じてみたい。



幻の楽器 ヴィオラ・アルタ物語 (集英社新書)

幻の楽器 ヴィオラ・アルタ物語 (集英社新書)