音楽を奏でるように

よく後輩に「もめごとに関わる時、いつも何を考えてます?」と聞かれることがある。
なぜこんな質問を受けるのか?実は私があまりに楽しそうな顔をしているからのようである。
人のもめごとで「楽しそうな」とは本当に当事者に対しては失礼な話だが、大学院時代には指導教官から「Mediation Junkieメディエーションジャンキー」とまで言われた私のこと。これからもめごとに関わるという時は、いつもワクワクする気持ちを抑えきれない。


では実際にもめごとに関わっているその時々には、一体何を考えてながら対応しているのか。
そう聞かれても、いつもその瞬間瞬間、ライブで反応している自分の感じ方を説明するうまい言葉が出なかったのだが、ふと、ある時に、当事者たちと関わるその時々に感じる感覚を、自分が違うシチュエーションで過去に何度も体感していることに気がついた。


音楽を奏でることである。


私は高校・大学と部活動では吹奏楽に入って楽器を演奏していた。


曲を演奏するために、まずはチューニングを行わなければならない。
チューナーを使って、またはオーボエクラリネットのA音、B♭音を使って、それぞれの楽器が音を合わせていく。当初バラバラで耳の奥にうなりを生じさせていたさまざまな楽器の音が、徐々にうなりが消え、フラットになっていく。
音合わせが終わると、ようやく曲を合わせることが出来る。
しかし演奏の途中、ユニゾン(同じ音・旋律を複数の楽器が同時に演奏すること)の小節などで楽器同士の音がぶつかる時がある。
音がぶつかると不快に感じるので、やはりほかの楽器の音を聞きながら、どうやったら相手の音を生かしつつ自分の音を鳴らすことが出来るのか試行錯誤する。
またバランスを考えながら、時には自分が前面に出したり、後方に回ったり、奏者が心を合わせて1つの曲を完成させるのだ。


これらの一連の流れは、もめごと解決の場で行われていることと非常に似通っている。


最初に「こんにちは」と声をかけた時から、私の中でチューニングは始まっている。
まずは感情的になっていないか表情を見る、不協和音を奏でる付添はいないか、緊張していないか、さりげなく確認し、明るく挨拶をする。
うなりを消し、ぶつかる音はないか、確認する。
チューニングが万全なら、あとはよい演奏をするだけだ。
途中で一方の当事者が激高したり、泣き出したりする。
そのような場合、当事者の1人だけを個別にチューニングし直すことも有効だ。
当事者間でどうしても意見がかみ合わず、合意が困難な場合がある。
これは異なる楽器でユニゾンが合わない場合と同様。
片方がテンポが速かったり、音が合っていないために和音が整わないのかも知れない。
もう片方にテンポを合わせてほしいとお願いしたり、どちらの音が狂っているのか、音を確認しあったりすることで次第にユニゾンはぴたりと合ってくる。
時には片方が主張し、そして逆に相手の主張を聞いて、バランスを考えながら当事者の言いたいことがすべて言えるように調整する。


苦労して1つの曲を完成させた時、当事者や私たちは不思議な達成感に包まれる。
たくさんの観客の拍手に包まれて賛辞を聞かされているかのような、そんな瞬間だ。
頑張った自分や相手にさえも、誇りが持てるような、そんな解決が時にはあるのだ。
この瞬間があるからこそ、もめごと解決はやめられない。