「糸切り 紅雲町珈琲屋こよみ」 吉永 南央 著

「紅雲町珈琲屋こよみ」シリーズ、第4弾。今回は、個人経営の電器店や手芸店など大手スーパーやネット通販に押され寂れていく一方の小さな商店街を舞台に人が変わらないでいることの難しさと、あえて変わろうとする勇気を描いている。

「紅雲町珈琲屋こよみ」シリーズ、第4弾。
第1作目で76歳だった主人公のお草(そう)さんや彼女の周りの人々も、シリーズが進むにつれ身体の不調がでたり環境が変化したり。
それはあまりに静かに進行するので忘れがちだけれど、読んでいるとシリーズとともに私たち読者の現実世界の時間も過ぎているということを常に意識せずにはいられない。


さて、今回は、個人経営の電器店や手芸店など大手スーパーやネット通販に押され寂れていく一方の小さな商店街が舞台だ。
数店舗が並ぶ小さな商店街にも歴史があり、謎がある。
小商いとはいえ、いや小商いだからこそ人が人と関わる喜びと面倒臭さは大きな店舗のそれよりも濃いのかもしれない。
いざ大規模なリフォーム工事をすることになったこの商店街を巡り、思いもかけないお宝の存在や、長年の誤解や行き違いを抱えた親子、高齢者の介護の問題など、本シリーズにはお馴染みの身近な謎やトラブルを絡め、今回は商店街同様に、人が変わらないでいることの難しさと、あえて変わろうとする勇気を描いている。


お草さんや周囲の人々の優しさや温かさにほっとするこのシリーズ。
でも、本当は私、第1弾からずっとこのシリーズには「死」の匂いがつきまとっている気がしている。
そう思えば本シリーズ、いわゆるご近所探偵の小さな謎解き物語の体をなしているようでいて、家庭内虐待とか今回の当て逃げとか、命に関わるような結構重たい事件が起こる。
それは現実世界もまた、容易に見えないところで身近に暴力や孤独を体験したり見聞きしながら生活している人や、突然の死に平穏な日常を奪われてしまった人がいることを思い出させる。
そういう意味では本シリーズを、ほのぼのした表紙絵から、軽いコージー・ミステリと思い手に取ると失望してしまうかもしれない。
読後感は決してcozy(居心地が良い)ばかりではないので。


家族や友人、知人、さまざまな人の死が、いつも物語のどこかに主旋律である謎解きのストーリーの下方を「私を忘れないで」と副旋律を低音で奏でているような気がする本シリーズ。
だから主人公のお草さんは、まるでいつが最期になっても良いように一食一食を丁寧に作り、店を飾り、一杯のコーヒーを美味しく入れようと心を砕く。
いやいや、そんなお草さんの暮らし方は、高齢のお草さんだけでなく私たちにもまた、死はとても近しいところにいるということを教えてくれているのかもしれない。
私もそれを忘れたくない。
だから読後感がいくら苦くても、私は本シリーズを読み続けてしまうのだと思う。


糸切り 紅雲町珈琲屋こよみ (文春文庫)

糸切り 紅雲町珈琲屋こよみ (文春文庫)