「脳が壊れた」 鈴木 大介 著

脳梗塞で倒れ、一命はとりとめたもののさまざまな機能障害を発症、その後も後遺症に悩まされつつ厳しいリハビリに耐え、現在もライターとして活躍している筆者が描く病前病中病後のリアル。
脳卒中脳梗塞脳出血などを含めて言う)とは、がん、心臓病に続く日本における死因の第3位の病気である。
そして著者がこの病気に襲われたのは、41歳の働き盛り。
その以前から偏頭痛や寝苦しさ、妙な胸の動悸…そして指の痺れ、めまい、視界の歪みという自覚症状があったのだが多忙のあまり軽視、ある日突然、朝一番に言語障害や麻痺を発症し病院に運び込まれたのである。
幸い一命をとりとめたものの、その後も筆者は手足の麻痺はもちろん、トイレに謎の老紳士が現れたり会話相手の顔を直視できないという視覚など感覚器の障害、そして突然感情が爆発し号泣する、落ち込むなどの感情コントロールの問題に直面する。
筆者でなくても、このような突然の自分の変化にどれだけの衝撃やストレスを覚えるか。
ましてや完璧主義の筆者にはその間どれほどの焦りや不安があっただろう。


しかし筆者は、自分の身体や意識に現れる不思議な現象の数々を内観しながら、その症状がかつて貧困をテーマに自分がインタビューや取材の対象としてきた「現実世界で生きづらい人々」に共通して見られる症状であることに気づく。

貧困とは、多大な不安とストレスの中で神経的疲労を蓄積させ、脳梗塞の後遺症で高次脳機能障害となったものと同様なほどに、認知判断力や集中力などが極端に落ちた状態なのではないか?

これまでの取材活動の中で、僕は多くの発達障害を抱えるが故に社会や集団から離脱・排斥された人々や、精神障害と貧困のただなかに立ちすくみ混乱する人々を取材してきた。彼ら彼女らは、一様に「面倒くさい人たち」で「不自由な人たち」だったが、僕は記者として、初めて我が身をもってリアルな彼らの当事者認識を理解できるようになったのかもしれない。

そして彼は思うのだ。

だとすれば、これは僥倖だ。

彼らの生きづらさを、病気になった自分こそが世の中に伝えていくことができる、と。


また、筆者は病後、今回の事態に至った原因を自分の「背負い込み体質」「妥協下手」「マイルール狂」などの性格にあると結論づける。
そして少しずつ自分を変えることを決意し、今まで真意を語り合うことのないまま疎遠になっていた両親になんとかわだかまっていた思いや感謝を伝える。
病気を得たからこそ、口に出せた言葉は、病気がなければ一生この世に現れなかった言葉かもしれない。


愚痴一つこぼさず夫を介護した「鈴木妻」さんのあとがきを読むと、夫である筆者が病気になって良かったこと、悪かったことの割合は7:3の割合らしい。
私も顔を合わせるたびにけんか別ればかりだった父と、病後、なぜかいつも笑って話ができるようになったことにある時気づいた。
病気は良かれ悪しかれ人と人との関係も変えてしまうのだ。


もちろん筆者だからこそだと思うのだが、本書を読んでいると、病気をしたことがまったく取り返しのつかない不幸なことだとは思えない。
むしろ人生は短く、その時々に起こった出来事を「いいこと」「悪いこと」に簡単に仕分けしてしまうのはもったいないことなんだと気づかされる。
そうか、闘病記録だと思って本書を読んでいたけれど、そうじゃない。
これは一人の人間が脳梗塞をきっかけに自分の身体について考え、生き方について考えた結果、「脳が変化すれば身体が変化し、そして考え方が変わり、やがて人との関係が変わり、生き方が変わっていく」ということを記録した貴重な本だったのだ。



脳が壊れた (新潮新書)

脳が壊れた (新潮新書)