「ブルックリン」 コルム・トービン著

なぜ人は一つの道しか選ぶことができないんだろう。同じように可能性と愛情を感じる選択肢があったとして、それを両方選ぶことはなぜできないんだろう。


なぜ人は一つの道しか選ぶことができないんだろう。
主人公アイリーシュの生真面目さと人生の一回性について、何度も考える。
なぜ私たちの時間は一方向にしか進まないのだろう。
同じように可能性と愛情を感じる選択肢があったとして、それを両方選ぶことはなぜできないんだろう。


故郷のアイルランドからアメリカに移住したアイリーシュ。
他人と日常会話すらできなかったり、故郷が恋しくて切なくてデパートの接客の仕事につまづいたりしていた彼女が、やがて勉強を始め、恋を知り、少しずつ新天地に自分の足場を固め始める。
恋人と将来を誓い合い、ここで夢を実現させることを2人で夢みる。
ところが、そんな彼女にアメリカに送り出してくれた最愛の姉がなくなったという知らせが。
仕事もなく、夢もなく、恋をする相手もいないまま離れた故郷だったが、都会から帰った彼女は姉の知人やかつての同級生たちから歓迎を受け、仕事の紹介やかつては縁のなかった求婚者も現れる。
捨てたはずの故郷に未練が生まれ、なによりも姉を亡くし一人きりになった母親を見捨てる勇気が出ない。


夢はあるけれど何が待っているか分からない新天地アメリカと、夢は持てないかもしれないけれど見知った人々と安心して暮らせる故郷アイルランドと。
イタリア系の移民である陽気で優しい男性トニーと、知的で穏やかな裕福な男性ジムと。
どちらの道を選択すべきなのか。
時間と可能性に満ちた若さと知性が、逆に彼女を苦しめる。
さて、アイリーシュの選択は…。


1950年代のアイルランドアメリカのあまりに異なる風景や人々の生活、そして主人公が遭遇する人や出来事の繊細な描写は読んでいる者もまたアイリーシュの見るもの聞くもの感じるものを追体験しているような気持ちにさせる。
アイリーシュの生真面目さや頑固さは好ましいとともにじれったさも感じさせるのだけれど、この性質が彼女を相応しい道へと導くのではないかと、どこか信頼して読んでいられる。


人生は時に優しく、または厳しく、私たちに選択を迫る。
そして私たちは積極的に、もしくは消極的に、いずれかの道を選択することになる。
その選択の一つ一つが「私」という人格の反映なのだろうと思う。
だとしたら、その結果は受け容れるしかない。
選んだ道の良いところだけをつまみ食いすると思わぬしっぺ返しを食らう。
私たちは一度きり選んだ道を、晴れの日も雨の日も風の日も歩き続けなければならない。
ならばその道で見える景色を楽しみ、道程を満喫しよう。
その道を共に歩く道連れを心から愛しく思おう。
そう思った。


先日映画も鑑賞。
“エイリッシュ”(字幕ではこの表記)役、シアーシャ・ローナンの凛とした美しさに感激。

ブルックリン (エクス・リブリス)

ブルックリン (エクス・リブリス)