「ゴールドフィンチ」1〜4 ドナ・タート 著

美術館でテロ事件に遭遇し最愛の母を亡くした少年テオ。謎の老人の指示で彼はある名画をそこから持ち去ってしまう。彼とその名画を巡る数奇な運命…。

ニューヨークに住む13才の少年テオは、雨を避けるために入った美術館で、爆弾テロに遭遇し最愛の母を喪う。
偶然とは言え、なぜそこに自分たちが居合わせたのか、さまざまな理由からそれは自分のせいだと己を責め続けるテオ。
事件後、彼は裕福な友人アンディの自宅に身を寄せ、その後自分と母を捨てた父親に引き取られラスヴェガスへ、そして父の死後、再びニューヨークへと戻ってくる。
彼を支え時には傷つけるさまざまな人々、友人のアンディとその家族たち、彼と母を捨てた父とその恋人、生涯の友ボリス、独りぼっちの彼を受け容れる家具職人ホービー、そして運命の女性ピッパ…。
そして、いつどこに行っても、彼の元には常に一枚の絵画があった。


その絵は、壁に取り付けられた止まり木に細いくさりで繋がれた一羽の小鳥を描いたファブリティウスの「ゴールドフィンチ(ごしきひわ)」。
レンブラントの最も有望な弟子でフェルメールの師ではないかと言われるファブリティウスは若くしてデフルト市を襲った爆発事件で命を落とし、遺された稀少な作品は値が付けられないほどの価値があると言われている。
なぜそのような美術品が彼の手元にあったのか。
実は、爆弾テロの直後、瓦礫が散らばり死体が横たわる中、粉塵の舞う美術館でテオは一人の老人と出会い、瀕死の彼から美術館の壁にかかっていた「ごしきひわ」の絵を「持って行きなさい」と言われ、そのまま事件後のどさくさの中で持ち帰っていたのだ。


誰にも知られず持ち出したこの絵だが、それは彼にとっては孤独な子ども時代の支えであり、しかしそれはやがて重荷にもなっていく。
この誰にも言えない重い「秘密」を抱える主人公テオはどこか暗く、人をあまり寄せ付けない。
また彼はホービーと彼の店を支えるため悪事に手を染め、ついにはあの秘密の絵画ことである人物に脅迫される羽目になる。

なぜぼくはこういう人間なのだろう?なぜ悪いことにばかり関心を持ち、善いことにはまったく目を向けようとしないのだろう?

自分の中の「悪」に苦しみ、自分を責めるテオ。
しかし一方で、そんな彼の庇護者となりパートナーとなるホービー、距離感を保ちつつ彼を支えるバーバー夫人、破滅的であると同時に献身的な友情を捧げるボリス、そして彼と同じ爆破テロ事件で心と身体に大きな傷を負ったピッパ…テオを愛し、影響を及ぼすこれらの登場人物たちのなんて生き生きして魅力的であることか。


どの登場人物も本当に魅力的で忘れがたいのだけれど、私は特にボリスに魅せられてしまった。
彼の、法を犯し破壊的で自滅的な行動をとりながら、楽天的で不屈の信仰心を持つという複雑な性格は、自己憐憫と自責の念に押しつぶされそうなテオの運命を良くも悪くも大きく変化させる原動力ともなっていく。


ボリスはテオに問いかける。

おまえの行動や選択、善か悪かは、神にとっては何の違いもないならどうだ?そのパターンがあらかじめセットされているならどうだ?
おれたちの悪と過ちが、おれたちの運命を定め、おれたちを善に向かわせるならどうだ?おれたちのなかに、ほかの方法ではそこに到達できない人間がいるならどうだ?

善と悪は決して別物ではなく、悪に限りなく近づき、業火に身を投げようとしながら、実はそれは限りなく善に近づいている、ということがあり得るのでは?
神の教えに背こうとしながら、実はその地獄の果てに神を発見するということがあるのでは?
ボリスは善と悪を純粋に切り分けることで自分を責め、生きる気力を失おうとしている親友にそう語りかける。


限られた寿命の、神の目を持たない私たちは、自分の行動やその結果が他の人々にとって、善をもたらすのか悪をもたらすのか、その場で客観的に判断することはできない。
神(便宜上こう言うけど)だけが分かるコインの裏表を、ゲームのルールを、私たち人間は知らないまま、暗闇の中で放り出されて手探りしながら生きるしかない。
その一方で、私たちは自分たちの道徳観念に縛られもするので、自分の行動やその結果に良心の呵責を感じて苦しむこともある。
テオはそんな私たちの生の理不尽さを「人生は災難だ」という言葉で表す。


だけど、人がその寿命の短さと視野の狭さゆえに善悪が判断不能なのだとしたら、私たちはありのままであり続けるしかない。
自分なりの方法で、自分だけの道を歩き続け、最後は誰もが「死」にたどり着く。
身もふたもない結論だけど、私たちはこの世を通り過ぎる過客に過ぎないのだ。
けれど。
ファブリティウスのあの絵、足を鎖に繋がれた小鳥が、どんな境遇にあっても、それでも生きるものが持つ、凛とした「野生の生」を観るものに訴えかけているように。
私たちに「永遠」を教えてくれるものがある、それは…。


あとがきによると、本書は「十年間で五、六冊出るかどうかの稀にみる傑作」(スティーヴン・キングのレビュー)「オリヴァー・ツイストの再来」などと絶賛され、2014年にはピュリッツァー賞を受賞している。
個人的なことながら、本書を読んでいる間に、仕事の環境が変わったり、新しい出会いが続いたり、海外に行ったりで、私自身もテオ同様に「なぜ自分はこういう人間なのだろう」と自問することが数多くあり、実は出会うべくして出会った本じゃないかなあという気がしていた。
著者の前作である「ひそやかな復讐」と同じく、子どもの繊細で時に残酷な心理を丁寧に丁寧に描く手腕はぞっとするほど的確で執拗。
なにしろ文章がとても意味深で、何度も読み返したり意味を反芻したりで時間がかかってしまったが、それだけの奥深さがあり、久しぶりに物語を読んだという読み応えを感じる作品だった。


ゴールドフィンチ1

ゴールドフィンチ1

ゴールドフィンチ 2

ゴールドフィンチ 2

ゴールドフィンチ 3

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ゴールドフィンチ 4

ゴールドフィンチ 4