「あの素晴らしき七年」 エトガル・ケレット 著

イスラエル在住の作家で映画監督でもあるエトガル・ケレットが、息子が生まれた年から父親が亡くなる年まで7年間の出来事を綴る36篇のエッセイ集。

本書は、ホロコーストの経験者である両親の間に生まれ、戦闘の続くイスラエルで子どもを育てるユダヤ系作家である著者が、息子であると同時に父親でもあった大切な7年間に経験したさまざまな事件やエピソードが描いている。


著者はどんなひどい出来事の中にもユーモアのタネを見つけ出せる種類の人らしく、全編を通じてその彼の独特のユーモアが、起こった事件の悲惨さや残酷さ、痛みを和らげるクッションの役割を果たしている。
運転中に家族で爆撃に見舞われた時にも、体調不良で緊急ダイエットを迫られた時にも、9・11後に乗った飛行機をダブルブッキングで降ろされそうになった時にも、15時間ものフライトを経てたどり着いた朗読会にほんのわずかな聴衆しか座っていないことを発見した時にも。
ほとんどのエピソードで、何らかの形で戦争や殺し合い、テロ、憎しみについて語られているにもかかわらず、彼のユーモアには、悲惨な目にあった後のちょっとやけっぱちな笑いと、つらい思いをした者だからこその優しさに満ちていて、私は読んでいる途中で、何度も何度も、笑いながらふと気づくと泣いているのだ。


ある時、著者の息子のレヴが夢中になっているスマホのゲーム「アングリーバード」を見て、おばあちゃんが尋ねる。

「この鳥さんたちは標的に当たったらどうも死んじゃうんじゃないのかい?」

著者が、このブタと鳥の争いはブタが鳥たちの卵を盗んだのがきっかけで起こったこと、そしてこれはものを盗んではいけないということを教えてくれる教育的なゲームだと解説すると

「自分に盗みをはたらいた奴はどんな奴でも殺していい、自分の命を犠牲にしてでもって教育ね」

とおばあちゃんは一刀両断。
そう、そして彼はその意見を受け容れ、分析する。

アングリーバードが我が家で、そして他の場所でも人気があるのは、ぼくらがみな、殺したり破壊したりするのが大好きだからだ。


またある時、著者は、3歳の息子の公園遊びのママ友から「レヴちゃんを入隊させます?それともさせない予定?当然奥様と相談されてますよね?」と聞かれて戸惑う。
イスラエルの男子には18歳から3年間の徴兵の義務がある)
さらに「3歳の子どもに妙な話題だよね?」と話しかけた妻から「わたしはレヴには軍隊に行ってほしくないわ」と言われ、つい口論になってしまう。


以前、息子のもと同級生のママ仲間と話をしていた時、万が一息子たちが兵隊にとられるようなことがあったら…という話題になった。
その時、複数の母たちが「私たちも戦場に行く!ね、皆んなで一緒に行こう」と力強く答えたので驚いた。
なにしろ密かに修学旅行にまでついて行ったメンバーたちだから本気かも。
「ついて来る?」
勇ましいママ友の問いに、本書のレヴの入隊を巡る夫婦喧嘩の顛末を思い出し、私も心の中で彼と同じ決意をした。

結局、疲れ切って他の解決策もなく、ぼくたちはお互いが本当の意味で合意しているただひとつの原則で妥協することにした。それはこれからの十五年間、家庭と国の平和に向けてがんばる、というものだった。

あとがきによると、著者は2014年のイスラエルのガザ侵攻の際には妻とともに亡くなったパレスチナの子どもへの哀悼の意を示したことで自国民からバッシングされ脅迫まで受けたという。


もちろん私たちは誰も戦争することなんて望んでいない。
だけどママたちを見ていると分かる。
私たちは思うのだ、私たちの大切な卵、息子や娘を守りたい、奪われたくない、と。
そうして私たちは愛ゆえに簡単にアングリーバードになってしまうのだ。
種族や信条の違い、相手の過ちや行為を言い訳に、私もきっと立派なアングリーバードを目指すだろう。
そしてアングリーバードたちは互いの国に飛び込んで攻撃と破壊を繰り返し、やがて自分たちの国に、頭上からミサイルが落ち、テロリストが攻撃を仕掛け、瓦礫の中で母親が子供の名を叫ぶ、そんな日を呼びよせる…。
いやダメダメ、私たちはもっと怒りをコントロールする術を学ばなければならない。


待てよ、そう考えると案外、私たちが戦場に行くというのは良いアイデアのような気がしてきた。
なにしろ、老眼が始まり、四十肩、五十肩、腰痛、ひざ痛に悩むママ軍団…。
確かにその存在は戦場の(両軍の)戦意を喪失させるに違いない!
…うん、やはり、ユーモアは世界を救う有効な手段なのかもしれない。


あの素晴らしき七年 (新潮クレスト・ブックス)

あの素晴らしき七年 (新潮クレスト・ブックス)