「kotoba(コトバ)」 第23号 季刊誌 2016年春号

特集は「映画と本の意外な関係」。本が好きな方にも、映画が好きな方にも、両方にたまらない内容となっている。


特集は「映画と本の意外な関係」。
本が好きな方にも、映画が好きな方にもたまらない内容となっている。
ざっと目次を眺めてみると…。
「映画の本棚」 町山智浩
「僕のハリウッド映画鑑賞法」 内田樹
「映画のような漫画を描きたい」 荒木飛呂彦
「”ディック・ワールド”を体感せよ」 大森望
「映画と小説の間に生まれる重層性」 青山真治
ヤマザキマリの偏愛映画論」 ヤマザキマリ
「私は原作より劣る映画の存在意義を認めません」 向井万起男
「壮大な文芸大作の世界を数時間で楽しめるロシア映画沼野充義
などなど、どれも誰かに話したくなるような”とっておき”が詰まっている。


題名を読んだだけでもたまらないラインナップなのだけれど、いくつかご紹介。
まず町山智浩氏の「映画の本棚」は、映画で本が映るとその題名が気になって仕方がない私にはたまらない内容。
インターステラー」のあの本棚は私も気になっていたんですよ!ノーラン監督自身のコレクションでもあるというあの本たちはなるほどこういう顔ぶれだったのか!ときめく!!
そして大好きだった「グランドブタペスト・ホテル」。
映画の最後にツヴァイクが出てきたのは、実はそういう理由だったのか…と開眼。
そしてそこからの「ベルリン・天使の詩」。
あの図書館にいたホメーロスという老人に託されたベルリンという都市に染み込んだヴァルター・ベンヤミンという思想家の思い。
知らないと分からない、だからもっと知りたいと思う、そんな論評となっている。


他にも、新訳を手がけた鴻巣友季子さんによる「『風と共に去りぬ』ー世界的ヒット作同士の奇跡的な関係」は原作ファンにも、映画ファンにも必読。
原作ではスクエア・ジョーズのファニーフェイスと明記されたスカーレットと映画のヴィヴィアン・リーとの外見の違いやレットが買い戻した指輪のくだりの違い、ある重要なシーンで原作では緑のドレスを着たスカーレットが映画では緋色を着る、そこに隠された意味とは…まるで謎解きのようにワクワクする論評だ。


コラムニストである長谷川町蔵氏の「YA(ヤングアダルト)小説がハリウッドを席巻中」では、原作も映画も魅力的だった「ウォールフラワー」「さよならを待つふたりのために」(映画邦題は「きっと、星のせいじゃない」)などのYA小説などYA小説を原作とする作品がハリウッドの一大勢力となっている現状が紹介される。
YA好きにはなんとも嬉しい状況!


そして政治学者の吉田徹氏による「移民をめぐる議論をフランス映画に学ぶ」。
ここでは、フランスにおける移民政策である「同化主義」「普遍主義」の持つしなやかさと「多文化主義」の危うさを、エマニュエル・トッド(「シャルリとは誰か?」などの著者)の言葉を引き解説し、そして共生への希望について、映画「最強のふたり」などを題材に語る。
「受け容れる」という発想は違うのではないか、否応なしに私たちはみな「同じ」になっていくのだ、混じり合うのだという、ドキュメンタリー映画「バベルの学校」を観た時の感想を思い出す。


それぞれの末尾に論者の「映画化してほしい本」が紹介され、そのラインナップもまた嬉しい。
ハイスミスの「かたつむり観察者」やキングの「ドクター・スリープ」ディックの「ユービック」ウルフの「新しい太陽の書」「四谷怪談阿部和重シンセミアミシェル・ウエルベック服従」なんて、ワクワクしませんか?


最後に、「小特集」の福島県の避難区域の牧場で置き去りにされた牛たちの運命と牧場主たちの苦悩を淡々と報告する眞並恭介氏の「齧られた柱」を読んで。
小学生の頃、長期の休みには母の実家の乳牛農家に預けられ、いとこ達と餌やりを手伝ったこと、真夜中に牛の出産をこっそり見に行ったりこと、大好物だったおばの作る出産したばかりの母牛の乳で作ったチーズなどを思い出し、激しく揺さぶられてしまった。
「牛は家族」という牧場主たちの言葉とその家族を見棄てなければならなかった苦悩、戻った時の絶望的な光景…残酷な残酷な光景…怒り。


本を読まないと映画がわからないわけではないけれど、ああたくさんの本を読みたい、映画を観たいと心から思う特集。
そして特集はもちろんその他の記事もとても興味深い、春の通勤や出張のお供に最高の道連れだった。


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