「地球の中心までトンネルを掘る」 ケヴィン・ウィルソン 著

一人でいることのさみしさと一人でいることの快感を行ったり来たりしながら、ときおり誰かと繋がる瞬間があって。それがささやかで、貴重な一瞬だからこそ、それは本書のように美しい物語に結晶化するのだ。

不思議な物語が10と1つ。
いずれも主人公達は聞いたこともないような仕事(替え玉祖母とか、スクラブルのコマの仕分けとか、おもちゃに音を入れる仕事とか)に就いていて、そして誰もがどこか矛盾した思いと、一番身近な人と分かり合えないさみしさを抱えて生きている。


替え玉祖母のバイトをする主人公の女性は、自分は家族を持たないまま気楽に替え玉を演じていたつもりが、実はあるべき家族の形というものに囚われていることに気づいてしまう。
母親から結婚を急かされながら、博物館の上階の部屋で必要最小限のものと暮らす主人公の女性は、孤独を愛していると言いながら、他人が愛情と衝動と執着に任せて集めたガラクタ、いやコレクションを守る仕事に密かに情熱を注ぐ。
本当は一人で車のプラモデルを作っている時が一番幸せな主人公の少女は、ぼっちな娘を心配する母のためにチアリーダーになり「ゴー」「ファイト」「ウィン」と叫び倒立回転飛びをして見せる。
両親が自然発火現象で焼け死んだ主人公の少年は、自分も焼け死ぬことを予感しながら、それでも優しい少女や自殺未遂を繰り返す弟を愛すること守ることをやめられない。
突然の思いつきで自宅の庭からトンネルを掘り始めた主人公の青年は、彼の行為を理解できないまま、それでも彼に食料を差し入れる両親に感謝しつつ、暗いトンネルを闇雲に掘り続けることを止めることができない。
誰もが矛盾した生き方をしていて、一番身近な人と分かり合えないまま、誰もが一人で、さみしい。


そんな主人公たちが、強力なさみしさの磁力でもって誰かに惹かれ、離れたいと思い、どうしようもなく結びつき、そんなささやかな繋がりにすがったり助けられたり温められたりする。
ずっと繋がり続けることは出来なくても、何かが繋がる瞬間を共有することはできる。
とりあえずこの瞬間は、一人じゃなくてよかったと思う。
生きて行くのも楽になるように思う。
そんなひとときを描く物語。


人というのは、「一人」なのだと気づいた日のことは忘れられない。
小学生だったけれど、日記にこう書いている。
うわ、一人で生まれて一人で死ぬんだ!!
どんなに優しくしてくれる家族とも友だちとも、全部は分かり合えないし、最期の時まで一緒にはいられない。
本書に収録された物語を読んだ後で思い出したのは、その時感じた不安と怖さとあきらめと、そして、何かから突き放され解放されたような妙な清々しさ、快感。


一人でいることのさみしさと一人でいることの快感を行ったり来たりしながら、ときおり誰かと繋がる瞬間があって。
それがささやかで、貴重な一瞬だからこそ、それは本書のように美しい物語に結晶化するのだ。


地球の中心までトンネルを掘る (海外文学セレクション)

地球の中心までトンネルを掘る (海外文学セレクション)