「停電の夜に」 ジュンパ・ラヒリ 著

日常生活の中で遭遇する小さな発見、他者との出会いやふれあいで起こる化学反応のような変化。それらを積み重ねて、人は昨日の自分から今日の自分へと少しずつ変わっていくのだ。


時々「自分」のことで頭がいっぱいな人(自分おばけと勝手に呼んでいる)に会うと、自分の身体の中だけで自問自答と怒りと悲しみとがぐるぐる回っているのが、まるで暗い渦が目に見えるような気がして苦しくなる。
それは視点が固定されているというか、一種の盲目状態に置かれているようなものなのだけれど、その渦中にある時、私もそうだが、人は視点をずらすということが難しい。
そんな人々を傍でじっと見つめ、その内面を観察する目。
著者はそんな目を持っている。


本書は両親ともにカルカッタ出身のベンガル人であり、自身はロンドンに生まれアメリカで育った著者によるデビュー短編集である。
一読して、すぐに、他者または他国、自分を取り巻く外界を静かに観察する目を感じた。
自分を取り巻く外界を静かに観察し、自分の新しい発見をあたため、心の中で冷静に分析してきた人の書いている物語だなあと。
そのあり方は、自分おばけとは対極にある。


全部で9作が収められているのだが、特に気に入った作品をいくつか。

「停電の夜に」(表題作)
初めての子どもを早産で喪い、夫の不在や周囲の人々の思いやりのない態度など、そんな行き違いが積み重なって互いの苦しみが見えなくなり、自らの哀しみと怒りの中に囚われてしまったインド系の若い夫婦。
そんな時、自宅に毎夜一時間の定期的な停電の連絡が入り、2人はろうそくの火が灯る中で、少しずつ今まで語ることのなかった小さな秘密を白状し合う。
それから毎晩、言えなかった心の内が少しずつ語られ、それは夫や妻と呼んでいた他者との遭遇と発見の時間となる。
少しずつ親しさを取り戻したとはいえ、なかなかわだかまりは解消しないまま、2人が迎えた夜。
しかしその夜、唐突に停電は中止となり、妻のある告白に傷ついた夫はついに、明るい部屋で一番肝心なあの日、あの時の、もう一人の家族との別れについて吐露する。
2人の暗い静かな夜。


「ピルザダさんが食事に来たころ」
「セン夫人の家」
この2つの物語はいずれも、子どもが大人の世界を遭遇し新たな発見をする物語。
故国パキスタンの紛争で自国に戻ることのできなくなったピルサダさんをアメリカ生まれのインド人の少女が、そして夫の仕事で故郷インドを恋いながらアメリカに暮らすセン夫人を白人の少年が、ほとんど感情は出すことなく、淡々と見つめ続ける。
これは「人々を観察しては文章を書いていた」という著者自身の少女時代が投影されているのかもしれない。
思うに任せない運命に翻弄されるピルザダさんとセン夫人を静かに観察する子どもたち。
その視線の先にいる大人は、自分の不安や孤独に囚われ、セン夫人は迷い子のようにつぶやく。

「ここの人、みんな、自分だけ世界にいる」

しかし、ピルサダさんの姿から少女は「はるかに遠い人を思うということ」を知り、セン夫人の姿から少年は人はみな孤独の中で生きるということを静かに受け入れるのだ。


「病気の通訳」
インドで観光客相手にタクシー運転手をしてい主人公。
ある時アメリカからやって来た夫婦と子どもたちを乗せて観光地を案内する。
彼のことなど気にもとめない様子の一行だったが、彼が運転手の仕事の合間に医師の通訳をしていることを話した途端、2人きりになり妻がある重大な秘密を打ち明け始める。
ところが期待に反する彼のうろたえぶりに、一瞬開きかけた彼女とのコミュニケーションの回路はあっという間にシャットアウトされる。
他者との遭遇どころか、彼を歯牙にもかけない彼女の身勝手な態度に、閉ざされた扉の前で立ち尽くす主人公の呆然とした顔が浮かんでなんだかちょっと笑ってしまう。
この彼女こそ、自分おばけの権化だなあと感じ入った作品。


「神の恵みの家」
これもまたアメリカに住むインド系の若夫婦の物語。
短い交際期間を経て結婚した2人が新居に引っ越しをすると、家のあちこちからキリスト教に関わる聖具が次々に見つかり始める。
妻のはしゃぎぶりとは対照的に、夫はこの異教の聖具類の発見とその取り扱いをめぐる口論をきっかけに、妻に対する違和感と不安を覚える。
それでいて、それをはっきり言えない、妻の願いをきっぱり拒絶できない自分へ募るいらだち。
これは分かるなあ…他人と暮らし始めたときの不安感、違和感、そしてかすかな不快感。
しかしそれらを自分の心にしまいこみ、ときおり、そこに愛おしさを覚えたりして、私たちは一緒に暮らしていくのだ。
自分の思い通りではない、どこか知らない顔を見せることのある家で。


他の「本物の門番」「セクシー」「ビビ・ハルダーの治療」「三度目で最後の大陸」もまたそれぞれに、市井の目立たない人々とその日常を淡々と描きながら、しばらく余韻の残るどこかさみしい物語だった。
生きていく中で、なにか重大事件が起こって人は突然変わる…ということも時にはあるけれど、実際には、少しずつ小さな事件や変化や発見を積み重ねて、人は昨日の自分から今日の自分へと変化していくんだなあと当たり前のことをしみじみ感じた。


先日、行きつけの整体師さんに背筋をびびーっと伸ばしてもらいながら「さっきイヤホンで聴いていた曲なんですか?」と聞かれ、苦しい息の中で曲名を答えたら「えっ?」とびっくりされた。
「それ、たった今あなたが来る前に僕が聴いていた曲ですよ」
無口な(と思っていた)整体師さんと、体の硬いおばちゃん(と思われているだろう)は、互いに不思議なものを発見したかのような顔をして、見つめ、笑いあった。


Hello World
見つけられるべきものは、まだまだたくさん世界で待っているのかもしれない。
平凡とも思える毎日の中、静かに見つめる開かれた目を持っていれば。
最新刊で著者は、家族とイタリアに移住し、学生時代に「恋に落ちた」というイタリア語でエッセイを綴っている。
どこまでも、新しい世界を発見すること目が開かれている人なのである。


停電の夜に (新潮文庫)

停電の夜に (新潮文庫)