「紙の動物園」 ケン・リュウ 著

どの作品も国境を越え、言語を越え、肉体という枠さえも越えている。これから現れる若い小説家は、彼のように広大な視点から、人を、自然を、愛を、宇宙を語るのかもしれない。

書店で本を探して立ち読みしていると、本につかまってしまうことがある。
うかつにつかまってしまうと夕食の準備に遅れるし、重い買い物袋にさらに荷物を加えることになる。
だけど、自宅に連れ帰りたい、強い引力を感じさせる本。
本書はそんな本のうちの一冊だ。
何気なく表題作のページをめくってしまったのが運の尽き。
立ち読みしていて涙が止まらなくなるとかまったく恥ずかしいったら。


作者のケン・リュウ中華人民共和国に生まれ、11歳の時に家族とともにアメリカに移住、ハーバード大を卒業後マイクロソフトに入社し、その後企業弁護士などを務め、現在は特許訴訟関係のコンサルタント業や子供向けアプリの開発に携わっているという。
彼の多彩な経歴は作品にも反映されていて、中国、台湾、日本など東アジア圏をルーツとする登場人物や言語などの文化的な、政治的な事件が小説のテーマや舞台に選ばれている。
本書には15編の中短編が収められているのだが、テーマの多彩さ、物語の思いもつかない飛躍は、そんな経歴を持つ彼の物語世界がどれほど広大かを表しているのだろうと思う。


さて、それぞれ好きな作品なのだが、特に好きな作品をいくつか。

「紙の動物園」
アメリカ人の父と中国人の母を持つ主人公。
ある日、泣き止まない幼い彼に母は、デパートの包装紙を使って折り紙の動物を折り、そしてその動物たちに命を吹き込む「魔法」を見せる。
母と彼とのささやかな秘密はしかし、彼の成長に従って価値を失い、英語の苦手な母と彼との会話は減っていく。
数年後、母が病気で亡くなった年の清明節(死者を慰める中国の行事)の日、母が作った老虎(ラオフー)が動き出し、亡き母の手紙を彼に届ける

子どもに対する愛情って、ただでさえ伝わりにくい上に、主人公母子の場合は言葉の壁がなおさらそれを難しいものにしている。
移民として、言語・文化を共有できない親子がどれほどの溝と哀しみを互いに抱えているかということにも思い至る。
もちろん同じ言語を使っていても、ろくにコミュニケーションが取れない親子もいると思うが。


もののあはれ
巨大な小惑星が地球に衝突する直前、一機の宇宙船が地球を離れる。
生き残った一握りの地球人を乗せて、300年後に到着する星を目指して。
たった一人の日本人、大翔(ひろと)もまた、その船に乗っている。
「日本」という国のよきものと父親に教えられた「もののあわれ」をその身に抱えながら。

この作品でも言葉が重要な意味を持っている。
大翔の父が彼に教える俳句、そして漢詩はどれも滅びと再生という回り回っている生きものへの天からの約束を彼に教えてくれる。
果たして今の日本人がどれほどこれらの思想を体得できているのかは怪しいけれど、耳慣れた日本の地名もあってちょっと忘れられない物語になってしまった。


「結縄」
これまた言語に関する物語。
主人公は、東アジア奥地に住む縄の結び目を記録言語として使用するある村の村長。
彼はアメリカからやってきた男トムに縄文字を教え、その驚異に驚いた彼からアメリカに招かれ、その知識をもってある構造物を「読んで」ほしいと頼まれる。
タンパク質のアミノ酸構造物という鎖状の文字を。

はるか昔から続く人間の知恵と、それを巧みに掠め取る先進国の「文明人」たちのやり口。


「文字占い師」
文字を分解して読み解く文字占い師とアメリカ人少女の物語。
舞台は1961年の台湾、カウガールになりたかった少女と、政治的事件から逃れただ平穏に生きていきたいと願う老人と孫の交流。

老占い師は「秋」から愁いを読み取り、「華」から野の花のような中国人のたくましさを読み取る。
弟子になった少女は「freeze」という言葉から人が自由を謳歌する未来を夢見る。
政治とイデオロギーの争いから解き放たれる未来を。


「良い狩りを」
妖狐の娘と見習い妖怪退治師の少年の出会いと運命の変遷。

こう来るか!と、予想のつかない展開で、妖怪を生み出した「魔法」が時代の移り変わりとともに新しい「魔法」となって人の世に溶け込んでいく面白さ。
妖狐のむすめ、艶(ヤン)の妖しい美しさがたまらない。
妖怪に感じる怪しい魅力と、完成された機械に魅入られる引力は似ているのかもしれない。


こちらに挙げたものの他にも「太平洋横断海底トンネル小史」「円弧(アーク)」「愛のアルゴリズム」、テッド・チャンの「地獄とは神の不在なり」にインスパイアされた作品「1ビットのエラー」なども印象に残った。
どの作品も国境を越え、言語を越え、人間の身体という枠さえも越えている。
これから現れる若い小説家は、彼のように広大な視点から、人を、自然を、愛を、宇宙を語るのかもしれない。
ワクワクするような本に出会うと感じるあの感触を久しぶりに感じる。
世界は物語でできているのだ。


紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)