「ステーション・イレブン」 エミリー・セントジョン・マンデル 著

「不在」の世界に生きる登場人物たちに教えてもらう。 どこまでも愛おしく大切な、私たちのいま。


舞台でリア王を演じていた俳優アーサーが突然倒れ、偶然そこに居合わせた救命士ジーヴァンの救助も虚しく彼は死亡した。
彼の死を目撃した7歳の子役キルステンにとっても、優しかったアーサーの亡くなったその日は忘れられない日になった。
そして世界中のたくさんの人々にとっても。
実は彼の亡くなったこの日は、異様に潜伏期間が短く致死率の高い「グルジア風邪」、新型のインフルエンザの爆発的流行が世界中に広まった日であり、そのパンデミックはあっという間に世界の人口の99%を死滅させ、その後、文明社会は崩壊してしまったのだから…。


文明崩壊から20年後、キルステンは<旅の楽団>と側面に書かれた幌馬車に乗って仲間と一緒にシェイクスピア劇を演じながら、まるで海の中の島のように点在する数少ない集落から集落へと旅を続けている。
彼女には「その後」からずっと大切に守り続けているものがある。
アーサーから倒れる直前に手渡された漫画、「ドクター・イレブン」シリーズの第1巻「ステーション・イレブン」と第2巻「追跡」の2冊の本。
この本はアーサーの最初の妻ミランダが、何年もかけて少しずつ描き続け自費出版した作品だ。
宇宙人に支配された地球を捨て宇宙を旅するドクター・イレブンの物語、その孤独と郷愁に満ちた物語はキルステンの心の支えになっている。


「その後」の世界には、携帯もパソコンもインターネットもない、車はあるがガソリンはない、飛行機も飛ばない、電気もない、薬もない。
人は狩りをして作物を植えて、過去の物資を漁りながら命をつないでいる。
インターネットが世界中を繋いでいたのに、今ではニュースと言えば、小さな集落を行き来する行商人や旅人が知らせてくれる噂話ぐらい。
人々は数年に一度訪れるキルステンたちのシェイクスピア劇とオーケストラを観て目を輝かせ、声を弾ませる。
そして、「その前」だったらすぐに治ってしまうような、釘を踏むような小さな事故、ちょっとした病気になって、人は簡単に命を落としてしまう。


キルステンが旅をする街には、誰もがおびえた様子の街もあれば、一部の人だけがたらふく食べていて他の人は飢えている街もある。
力づくで襲ってくる人もいて、キルステンも複数のナイフを常に持ち、腕には殺した人の数だけ刺青がある。
そしてもう片方の腕には「生きていられるだけでは不充分」というタトゥーが彫られている。
だけど、幼かった者や「その後」のあとに生まれた子どもたちはまだいいのだ。

でも私が言いたいのはね、一番つらい思いをしてる人、いまのこの時代に、グルジア風邪以後の世界で一番苦労している人は、昔の世界のことをはっきりおぼえている人じゃないかって気がするの。
つまりね、おぼえてることが多いほど、なくしたものが多いってことでしょ。


そう、本当につらいのはパンデミック以前の世界の記憶を持ち続けている人々なのだ。
奇跡的に生き残ったジーヴァンも、アーサーの親友クラークも、ぬぐいきれない哀しみとともに過去を振り返り、失くしたものの大きさを思い続ける。


通勤中、ふと顔を上げると、電車の中のほとんどの人が片手にスマホを持ってひたすらその画面に目をこらしている、という光景に気づく時がある。
そんな時、いまこの瞬間、インターネット回線がぶちん!と切断されてしまったら、どうなってしまうんだろうと考える。
「繋がっている」ようで、実は鎖に「繋がれた」、一蓮托生の世界になってしまったこの世界で私たちは途方にくれるのだろう。
その想像に怖くなると同時に、私はその瞬間を待ち望んでいるような気がする。
突然、見えない繋がりが切れたとき、人はどんな行動を取るのかを見たい。
もしかしたらそれは、私たちの目覚めの時になるかもしれない。
電気に、通信回線に、飛行機や車に、「疲れたー」とつぶやけば「大丈夫?」と声をかけてくれる、写真をアップすれば「いいね」と応えてくれる存在の有り難さに。


東日本大震災のあと、しばらく電気を極力使わない生活を続けてみたが、使えたものが使えない不自由さは予想以上に堪えた。
なんてことだろう。
超便利なこの世界に対する愛を確認するために、それが不在の世界に行ってみなければ分からないなんて。
失ってから初めてその価値を、その大切さを実感するなんて。
なんのための想像力なんだか。


本書で描かれるキルステンやあの頃を知らない子どもたちの「電気」「車」「飛行機」「宇宙」「インターネット」に対する憧れ、まるで魔法のような。
ジーヴァンやクラークたち大人の狂おしい郷愁、取り戻せない人との繋がり。
本書の「不在」の世界に生きる登場人物たちに教えてもらう。
どこまでも愛おしく大切な、私たちのいま。

ステーション・イレブン (小学館文庫)

ステーション・イレブン (小学館文庫)