映画「セッション」

映画館の中で身をすくめて観ていた。手足の先が冷たくなっていくのを感じながら。


主人公ニーマンはドラムの演奏者で、名門シェイファー音楽学院の一年生。
いずれ一流の音楽家として名を馳せたいと願っている彼が憧れているのは、 業界でも有名な教師フレッチャーの率いる学生バンドだ。
そこで活躍すれば、プロへの道が開き、プレイヤーとしてバラ色の未来が待っている。
いずれ、いずれはーーーところが、思いがけず早くも彼にそのチャンスが訪れた。
フレッチャー自ら彼をバンドに誘ったのだ。
ところが、有頂天で練習に参加するニーマンをフレッチャーの鉄拳が待っていた。
延々と続くしごきと、メンバー同士の競争心を煽るフレッチャーの巧みな指導。
マメがつぶれ血まみれになりながら練習しても、小さなミスを延々と責められ、飛んでくる椅子。
精神的に追い詰められ、ニーマンはついに限界を越え崩壊してしまう…。


高校時代に所属していた部で、息を詰めて周囲の顔色を伺うように来る日も来る日も楽器を吹いていた。
誰かが失敗して音楽が中断すると、指揮棒が自分を指さないことを祈る。
その指揮棒がたとえ友人を指していても、同情するよりどこかホッとしている自分にうんざりしながら。
「気合が入っていない」「気が利かない」しまいには「笑った」というだけで先輩に正座をさせられる毎日。


辞めると言ったメンバーには、休み時間に入れ替わり立ち替わり同級生たちが押しかけて説得にあたる。
異様なものを見るような目で他の同級生たちに見られていることは知っていた。
だけど流れを止める勇気はない。
そんなことをしたら自分が「逃げるのか」と責められる。
流れから出て、居場所があるとも思えなかった。


どんなに美しい曲も、指揮者によって分解された。
繰り返し同じフレーズを練習していると、ある時から「意味」がどんどん失われていく。
「どうして」と質問すると、プレイヤーは考えるな、指示通りに演奏しろと言われる。
なんのために音楽をしているのか、なんのために吹いているのか。
だめだ、こんなにバラバラな状態で素晴らしい演奏なんてできるわけない。
…だけど、私たちのバンドは結局、コンクールという場所で、望み得る最高の結果を出したのだった。


栄光を勝ち取ったのに、卒業後もあの日々を思い出しただけで気分が悪くなった。
もちろん、楽しかった記憶もある。
でもそれは殆どが音楽とは関係のない出来事の記憶ばかりだ。
私はあんなに長い時間をかけて「音楽」をしていたのに。
街で音楽を聴いてもテンポや音程が気になっていつも身体の中のどこか淀みに音がたまっていく。


ある日、野外イベントである高校生バンドの演奏を聴いていた時、なぜか音楽が体の中を障害もなく通り過ぎていった。
「sing sing sing」
ただただ楽しそうに演奏する生徒たちを見て思う、ああ、音楽は楽しんでもいいんだ。
今の私は大人になって、もうあの頃に戻る必要もなく、自由に音楽を聴いて、それをどう感じても誰からも非難されないのだ。
そして思う。
そうか、私は怒っていいんだ、あの頃のことを。
音をただ楽しむことを許してもらえなかった日々を。


ずっと、ずっと映画の前半で考えていた。
怒っていいんだよ、ニーマン、あなたは本気で怒っていい。
フレッチャーに踏みにじられた思いや希望を返せと怒っていい。
ニーマンはまだ若く、天狗になって自分の親族たちをバカにしたり、せっかく出会ったステキな彼女をまるで邪魔くさいゴミのように捨ててしまったりする。
たしかに彼は、虚栄心が強く、人を蹴落とすような狡さを持ち、他人の心を平気で踏みにじる。
だけど、だからと言って、音楽の名の下にあれほど弄ばれていいはずがない。


そう思っていた、そう、最後のあのセッションのシーンまで。


最近、やっとあのころ演奏していた曲を聴くことができた。
全員に記念に録音してもらったテープをレコーダーを引っ張り出して再生してみた。
すごい。
鳥肌が立って血の気が引いてしまうほど、すごい。


ひどい、ひどい人間関係だったし、私もまた弱虫でだめな人間で他人を傷つけた。
なのに、そんな人間たちが演奏する曲がどうしてこんなにも迫力があり、心を打つんだろう。
どんな人間であろうと、たった一度の本番に、研ぎ澄まされた神経と集中力で無数の練習に裏打ちされたテクニックを発揮することはできるし、そして、それこそセッションの妙によって素晴らしい音楽ができあがることはあり得るのだ。
人間の善悪とか、美醜とか、そんな人間の考えるすべての基準を越えて。
フレッチャーやニーマンの非道さも、醜さも、野望も、嫉妬も、すべて飲み込んで。
それが音楽なんだ。
フレッチャーも、ニーマンも、私たちも、人間は音楽によって使役されるだけの存在かもしれない。
素晴らしい演奏をしたことの喜びは、もしかしたら音楽の神からたまに貰えるお駄賃か余禄みたいなものなのかもしれない。
この作品は音楽に仕える人間の卑小さと、音楽というものの残酷さを思い知る映画だと思った。



ここからは蛇足。
最後のフレッチャーの微笑み。
もしかしたら彼は知っていたのだろうか?
自覚したうえで、つぶしてもいい覚悟で一人の人間を追い詰め、彼にとって最高の演奏を引き出したのだとしたら?
うーん。
それはともかく、どのシーンでもホーンセクションのメンバーたちがとてもかわいそうな映画でした。
追い詰められる人をただ、見ているのもツライもんです。

セッション [国内盤HQCD仕様]

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