「病を引き受けられない人のケア」 石井 均 著

一番大切なことは、「よほどのことがあっても希望を失わない人間にならねばならない」こと。

本書は、糖尿病治療を専門とする医師である著者が、糖尿病が専門外の医師や、臨床心理学、精神分析学の研究者、理学博士、哲学者、医療経済学者など9人の専門家と行う対談集だ。
河合隼雄養老孟司、北山 修、中井久夫中村桂子、門脇 孝、鷲田清一、西村周三、皆藤 章といずれも各界のベテランの先生方。
おそらくは糖尿病の治療にあたる医師や患者、その家族を対象に出された本なのだと思われるのだけれど、読んでみると不思議なほどさまざまな点で自分の仕事や人間関係に当てはまる言葉がある。
これは人や人の心に興味のある方すべてに応える本だと感じた。


どれもワクワクするような対談ばかりだったのだけど、いくつかの対談で心に残った言葉のを。

最初の対談相手は河合隼雄さん。
紹介の必要もないほどの有名な方だが、その言葉は平易でどこまでも優しい。
対談では糖尿病の治療にあたる人々の心のもちようについて著者からこんな言葉を引き出す。

石井 …私が「今度の方は、さすがにしんどそうやな」とか言うでしょう。そしたら若い看護師が「先生なに言うてんの!この人がどう変わるのか楽しみです」って言い出したんです。

河合 すごい。それは希望ですよ。

「希望」、それは秘密兵器。
だけど、対面するその人に差し出せる希望が「明日はきっと今日より良い日になりますよ」レベルのささやかさ、という日がある。

河合 …繰り返していると変わります。不思議なものですよ、人間というのは。
…「どう変わるか楽しみです」となってきたら、こっちが強いんですね。私はいつも思いますよ。こちらの人間と、その人のもっている課題の重さとの、容量の勝負みたいなものですね。

そう、課題をクリアするために容量を増やしたい、そのためには、自分の中に「希望」を蓄えておかなければならないということか。
だからこそ、私は河合さん語るような「言葉」を常に必要としている。


そして精神医学に長く携わる中井久夫さんとの対談では、このような言葉に巡り会った。

中井 …希望は意外なところに潜んでいること、個々人の生活に即して違うこと、しかし、とにかく医師は希望をも処方しなければなりません。「医師」そのものも処方せねばなりません。そして「祈り」をも。処方箋を渡すときには「効きますように」「うまく働きますように」くらいは言い添えてください。不確定要因が大きいほど、医療者は勇気をもちましょう。

「希望」だけでは足らない時、医師は自分も処方して、そして祈りをも処方する。
他人と真剣に関わるということは、本当にしんどいことだ。


哲学者の鷲田清一さんとの対談では、こんな言葉に出会った。

鷲田 私は、ケアの定義、エッセンスというのは「時間をあげること」だと思っています。本当はしなければいけないことがほかにもいっぱいあるかもしれない。でも、「この先生、自分の大事な時間をくれはった」と思っていただけることがいちばん深いケアであり、目に見える解決をいうものがなくても、それが大事だと思います。

あせってろくなことはない。
そんなことはわかっているはずなのに、本が読みたい、映画が見たい、家族や友達と話したい、家事がしたい、毎日時間不足で欲求不満の私には耳が痛い。
人に時間をあげられる自分になること、それは自分の中の揺らぎや焦りとがっぷりよつに組んでいける自分になるということ。


皆藤 章さんはこう言う。

皆藤 …しかし、今全世界的に一つの潮流としてある認知行動療法も、「良好な関係を築くことが大事だ」としている。僕たちはーというか、僕のやっている心理療法はーその”良好な関係”を築くことに命がけなんです。

「時間をあげたい」と思う前提は、「良好な人間関係」があってこそ。
とは言っても、本当にそれが一番難しいことなのだけど。


それぞれの対談者の本は本棚にあるし、同じようなフレーズを何度も読んだはずなのに、本書で、慢性病であり症状を自覚しづらい「糖尿病」というキーワードを軸にそれぞれの対話を読んでいると、最近心に引っかかっているいろんなことが不思議と腑に落ちてくる。

理学博士の中村桂子さんはこう言う。

中村 …それを私は「ストンと落ちる」と言っています。同じ「知る」でも、脳に蓄えられたという知り方と、心にストンと落ちたという知り方がありますよね。心にストンと落ちる知り方をした時に「愛づる」が生まれる。
中村 …「知る」ということが「愛づる」につながったときに、初めて知ったことの意味が出てくるのだと思うのです。…

たくさんの本を読んで知識を蓄えることの意味は、蓄えること自体にあるのではなくて、自分の関わる人を、事象を、病気や不幸さえもいつか「愛づることができること」に見いだせるのかもしれない。

そして最後にもう一度。

河合 …言ったとおりにしてくれたら「ああ、うまいこといったな」と思うけど、しなかったら「こんちくしょう!」と思う。そのときに口では「しっかりしなさいよ」と言うにしても、心では希望を失っている。するとそれが絶対に伝わるんです。だから、よほどのことがあっても希望を失わない人間にならねばならない。私は、それがいちばん大事なことだと思っているんです。