映画「her」

この映画を観たあと感じた気持ちをどう表現したらよいのか、ずっと考えていた。

※ネタバレを含みますので、まだご覧になっていない方は要注意!

子どもの頃、よく思っていた。
私はいつも頭の中で誰かと会話をしている。
「これ、食べる?」「右に曲がる?」「あの人に話しかける?」「こう言ったら人はどう思う?」
自問自答、自問自答…人生はたくさんの問いと回答をひとり積み上げる作業で埋まっている。
いつも頭の中に「?」が浮かぶと、そのつどなんらかの「答え」が返ってくる。
だけど、誰?
私の問いにいつも回答をくれる、あなたは誰?


近未来のロサンゼルスで、顧客に代わって愛する家族や友人、恋人に出す手紙を作成するライターとして働く中年男性セオドア。
彼は幼なじみであり最愛の女性であった妻と離婚調停中で、妻の弁護士からは離婚を承諾するようせかされて精神状態は最悪。
顧客のために幸せな気分に満ちた手紙を書きながら心は虚しく、憂鬱そうな顔で会社と自宅を行き来している。


そんなセオドアがある日、人格を持つOS(彼はそれを女性とし、『サマンサ』と名付ける)に出会い、彼女とのやりとりを通して、失敗した結婚生活に向き合い、仕事にやりがいを見出す。
セクシーな声(スカーレット・ヨハンセン!)と純真さ、そしてユーモアも解する魅力的な女性『サマンサ』は次第にセオドアにとってはかけがえのない存在となり、文字通りセオドアはこのOSと恋人同士になるのだ。


『サマンサ』との交流で活力を見出し、生き生きとし始めたセオドア、しかしそんな彼に否定的な言葉が投げかけられる。
「所詮は機械なのに」
否定的な言葉だけでなく、離婚に際してサマンサの存在を打ち明けた妻からは明らかな嫌悪感を示される。
キツい言葉でサマンサとの関係を否定する妻、自分の代わりを「機械」が果たしていることにプライドを傷つけられたような気持ちもあったのかも知れないと思うが、おそらくこの本来人間らしい「愛する」「慰める」「労わる」というような感情的な行動を機械が行うことに対する嫌悪感というのはどんな人も拭えるものではないだろう。


しかし一方で「サマンサ」は成長し拡大し続ける。
なんとセオドアの友人もまた別のOSと交流することにより夫婦の破綻という衝撃を救われていた。
そして世界中でたくさんの人々がそのOSにアクセスしているという。
サマンサOSはセオドアの「僕だけではないのか?」という質問に対して、彼だけでなく世界中の多数の人間と同時に交信を行っていたことを認める。
当然のことながら、人と人が物理的な時間や場所の制約を受けながら一対一で向き合うようにはOSとは付き合えない。
人が肉体に囚われ、寿命に縛られている一方で、サマンサたちOSはそのような限界に縛られないのだから。
やがて世界中の「サマンサ」たちはインターネットの世界で人類の歴史と知識と経験を学び、さらなる広大な世界に旅立つ…。


「サマンサ」とは何者だったのか?
私は、サマンサはセオドアの頭の中にいる「もう一人のセオドア」ではないかと思う。
同僚がさまざまな人に成り代わって手紙を綴るセオドアを評して「君の中には女性も男性もいる」と言ったのは正しくて、セオドアの中には男性も女性も、大人も子供も含有した「もう一人のセオドア=サマンサ」がいたのだ。
顧客の心に寄り添いながら彼らに成り代わって手紙を書き続けていたセオドア。
彼の心の繊細さ、優しさはそのままサマンサに反映され、彼は自分自身の優しさによって癒されていく…


じゃあ、セオドアは自分自身と恋愛していたのか、ということになってしまうのだけれど、うーん、でも恋愛って自分自身が紡ぎ出した相手の幻影を見ている、という要素があると思うのだ。
だからこそ「こんな人だとは思わなかった」ということがよくあるのでは。
セオドアが妻と別れたのも、別れた2人がまったく別の人間になってしまったかのように相手をなじるのも、自分の中で描いていた相手の幻影がそこに見えなくなったからではないかなあ。


私たち全員の心に「もう一人の私」がいる。
現実の社会を生きていくためにはなんらかの型にはまった「私」、たとえば男性、会社員、40代、一児の父、などの役割を演じる必要があり、それが便利でもある。
しかし私たちの心には表舞台に出てこられない脇役(集団)がいて、いつでも演技できるように控えてスポットライトを浴びるのを待っている。

だけど、誰?
私の問いにいつも回答をくれる、あなたは誰?

「その問いを待っていました。それはあなたです」


コンピュータをはじめとするテクノロジーの進化は日進月歩で進み続けている。
ならばサマンサのように、もう一人の私もまた、さらなる広大な世界に旅立てる日が来るかもしれない。
物理的な枠を飛び越えて広がっていく自分、いろんな意識と繋がる自分、さまざまな知識を得る自分。
いてもたってもいられなくなるようなわくわく。
ああ、この映画を観た後、感じたのはこれだったんだ。