「世界名作文学の旅」 朝日新聞社編

世界名作文学の舞台や生誕の地を訪れる文学紀行。初出から50年、改めて名作の魅力を再発見し堪能できる本だ

いま、私と娘の間ではにわかに「世界名作文学」熱が高まっている。
きっかけは本書。
娘が上巻から私は下巻から読み始め、
早速影響を受けて娘は「悲しみよこんにちは」から始まり今サガンを征服中。
私はディケンズにはまり、現在「大いなる遺産」(うー「文学刑事サーズデイ・ネクスト」はこれを先に読むべきだった!)を読み終わり「二都物語」、そうロンパリに取り組む予定。

上巻はフランス・イタリア・ドイツほか。
悲しみよこんにちは」フランス(サガン
「夜間飛行」フランス(サン=テグジュペリ
赤と黒」フランス(スタンダール
「若きウェルテルの悩み」ドイツ(ゲーテ
「ハイジ」スイス(シュピーリ)
「第三の男」オーストリア(G・グリーン)
ピノッキオ」イタリア(コッローディ)
「異邦人」アルジェリアカミュ
など全38作。

下巻はアメリカ、イギリス、ロシアほか。
「怒りのぶどう」アメリカ(スタインベック
欲望という名の電車アメリカ(T・ウィリアムズ)
「雨」サモアモーム
紅楼夢」中国(曹雪芹)
「大地」中国(パール・バック
罪と罰」ロシア(ドストエフスキー
「ニルスのふしぎな冒険」スウェーデン(ラーゲルレーフ)
チップス先生さようなら」イギリス(J・ヒルトン)
キリマンジャロの雪」ケニア&タンザニアヘミングウェイ
など全35作。


世界名作文学と、その舞台となった地、著者の生まれた場所を辿るその旅が本書のメインテーマであり、面白さのキモ。
地元の人に名作や著者について勢いこんで聞いてみるけど「なにそれ?」「それ誰?」な反応されてガッカリするパターンもまた楽しい。
なにしろ本書の初出は1964年ということで、まだ著者たちをご存知の方も存命だったりするので興味深いエピソードも聞けたりもする。
「悲しみよ こんにちは」編では作者であるサガンに直接インタビューを試み、当時30歳の彼女に18歳の時に創り出したセシルについて尋ねる。
そのサガンの答えに、月日が彼女にもたらしたものについて考えさせられた。


また、特に楽しく読んだのは、サモアを愛し、ここで死んでもいいとまで思ったという「スチーブンソンの復活」編。
「宝島」の作者スチーブンソンの数奇な生涯の中でサモアは宝物であったこと、当時彼は白人の侵略から島を守った英雄であったこと、スチーブンソンが(なぜか)吉田松陰を賞賛し松陰伝を書き綴ったことなど興味深いエピソードが次々に。
作者になりきり極寒のシベリアを西行する「シベリアの旅」(チェホフ)編も凍えそうな気持ちになるし、ジャン・バルジャン気分でパリの下水道を探検する「レミゼラブル」編、1512年から続く村の劇団のテル上演に付き合う「ウィルヘルム・テル」編、まだ千夜一夜の香りの残るバグダッドを旅する「アラビアン・ナイト」編、そしてスペインの「ドン・キホーテ」と「カルメン」編では担当記者の筆は走りまくり、主人公たちの通った道すじを辿って愉快な旅が繰り広げられる。


印象的だったのは、「ドン・キホーテ」編で世界中から集められた「ドン・キホーテ」本の日本語版の背表紙にあった「徳田秋声寄贈」の文字…いったいどのような流れでここに?
折しも、先日は「セルバンテスの遺体を発見」のニュースも流れていたけれど、なんともタイムリーだった。
読書をしていると、こんな意味あり気な偶然がよく起こる。


前述の通り文庫本は1999年発行だが、初出は「朝日新聞日曜版」の1964年11月から1966年8月。
まだ戦争の名残りを残しつつ、東京ではオリンピックが開催され、日本が前を、上を見ていられた頃、ヨーロッパに、アメリカに憧れの眼差しを向けていられた頃。
それぞれの旅を担当するのは森本哲郎氏、深代惇郎氏、疋田圭一郎氏など、「天声人語」も担当された練達の記者たち。
彼らの、異国の地とそこに住む人々への素直な好意、戦争に対する反対姿勢の表明は、率直で羨ましくなるほどだ。
現在の紙面では、おそらく披露しただけで糾弾されTwitterなどで晒されることになるかもしれないと思われるから。


最近よく考える。
言葉は刀に似ている。
刀は人を傷つけるが、時にとても美しく、その存在感は、触れなば切らんという緊張感と共にある。
言葉もまた、人を傷つける。
研ぎ澄まされた言葉は時に人に衝撃を与えるが、その衝撃に人は反撃することもできるし立ち直りさらに自分の言葉を研ぎ直し、鍛え直すチャンスを与えてくれる。
緊張感のない言葉はもちろん反論されなければいけないが、最近は反論する暇も与えずシャットアウトされてしまうことが多くて、熟考し言葉を鍛え直す暇なんてない。
その結果、当たり障りの良い言説ばかりが流れてくることになるのだけれど、誰も傷つかない安心安全な言葉だけが流通する世界は果たして人にとって理想郷なんだろうか。


「駱駝祥子」編で記者のインタビューを受けた作者の老舎は、文化大革命の中で絶望し投水し果てたという。
少なくとも世界名作文学を書いた作者たちは、作品を書くときに決して誰も傷つけない安心安全な言葉を使おうなどとは考えなかっただろう。
その止むに止まれぬ勇気と純粋さゆえに、彼らの作品は今も誰かに読まれ、生き続けているのだと本書を読んでいると感じるのだ。