映画「バルフィ!人生に唄えば」

「完全は不完全があってこそ成立する」


生まれつき耳の不自由な男性バルフィ。
インドのダージリンに住む彼は、ある日街にやって来た美女シュルティと偶然出会い恋をする。
喋ることのできない彼は、ジェスチャーや豊かな表情を使って、あの手この手で彼女にアプローチ。
天真爛漫な彼にいつしか魅かれていくシュルティだが、実は彼女には親も認める非の打ち所のない立派な婚約者がいた。
母親の「その人は愛の言葉を語ってくれるの?あなたの言葉が聞こえるの?」という忠告にシュルティは結局婚約者との結婚を選ぶ。
その6年後、失意のバルフィは病に倒れた父親を救うため、大金持ちの孫娘で自閉症のジルミルを誘拐し身代金を奪う計画を立てるのだが…。


インド映画らしく、登場人物たちのはっきりした目鼻立ち、そして豊かな表情と感情を表す大きな身振り手振りの動作は映画の画面が小さく思えるほど。
「歌や踊りのない異色のインド映画」との宣伝を見たが、登場人物たちの表情や身体全体を使った演技を見ているだけでまるで歌っているかのように、踊っているかのように感じるほどの表現の豊かさだった。


だけど…映画の前半から中盤までは、何度ももどかしさを感じてもやもやとした思いが胸につかえてしまった。
おそらく耳と口が不自由な主人公バルフィは、その時々の自分の思いを言葉ではなく目やジェスチャーで表すのだが、TVドラマではよくある字幕などはつかないため、本当に自分がきちんと彼の気持ちを把握できているのか、登場人物たとの関係を押さえられているのか、見逃した場面はないのか、気になってしまうからだと思う。
憧れの女性シュルティとも、本当に気持ちを理解し合っているのか、互いに言いたいことがちゃんと伝わっているのか、なんだかそんな疑問点が確認できなくて、気になって仕方がなかった。


中盤を過ぎて、今度は自閉症の少女ジルミルが登場する。
彼女もまた自分の気持ちを口で説明することが困難なため、バルフィと同じく言葉での会話が成り立たない。
これはもどかしさが加速するぞと思いきや、意外にも言葉に介さないバルフィーとジルミルのやりとりの方はまるで違和感なく受け入れられる。
不思議。
前半のシュルティとのやりとりでは、好き合っていても、争っていても、あんなに2人の会話がもどかしかったのに…。
そうか。
バルフィとジルミルには最初から「言葉」がない。
だから2人は言葉ではない何かで自分たちの気持ちを伝え合っている。
そしてどうやらその「何か」は私の中にも備わっているようだ。
それは、例えて言えば、生まれたばかりのわが子と気持ちを伝えあえる力のようなものじゃないだろうか。


最近の私は「言葉」に依存し過ぎているのかもしれない。
たいていTVを観ているのは夕食の片付けや家事の合間になるのだけれど、最近のTV番組は少々見逃しても大丈夫なように出来ている。
だって登場人物たちは自分が何をどう感じているか、今後どうするつもりなのか全部セリフで教えてくれるから。
人目をはばかるような悪事や悪巧みをしている時でさえ、それをベラベラと(時には図解入りで)説明してくれるから、ちょっとくらい場面や回を見逃したって、人並みの想像力さえあれば登場人物たちの説明的なセリフが見逃した場面を十分に補ってくれる。
なんと親切な。
いやもしかしたら番組の制作に携わる方々は、視聴者をおバカさんだと思っているのかもしれないが。


ちょうど読んでいる本の中で、何度か「完全は不完全があってこそ成立する」というフレーズが繰り返される。
その言葉の意味を自分なりに考えていたのだけれど、この映画を観ていて、あ、この映画こそそれに当てはまるのかもと考えた。


例えば、バルフィーの言葉にならない声を理解するために、シュルティは自分の方が手話を習おうとは考えなかったようだ。
母親の「その人は愛の言葉を語ってくれるの?あなたの言葉は聞こえるの?」という忠告は、恋愛という関係の中で、相手が自分に与えてくれるものだけを焦点としている。
この言葉に心動かされてしまったことこそが、まさに言葉でしか愛を確認できない、不完全は完全を補うものとは考えられない人の弱さを表しているのではないか。
しかし、現在のシュルティの境遇を描く場面で、彼女にもおそらく自分の弱さに対して忸怩たる思いがあったのだということが推察される場面がある。
そして私はその弱さを自覚したからこそ変わろうとした彼女が、この映画で一番好きだった。


映画は、バルフィとシュルティの出会った頃とその6年後のジルミル誘拐事件の頃、そして現在とが並行して描かれる。
そのあいまに、言葉をしゃべることのできないバルフィとジルミルを除く主要人物たちが交互に過去の出来事について語るという構成になっている。
彼らの語りを額面通りに真に受けていると、ついつい脳内の予測想像力というやつが働いてミスリードされてしまうという…あぶないあぶない。
言葉の力を過信してはいけない。
この映画では大事なシーンほど、セリフはないのだから。
主人公たちの涙が、微笑みが、目が、言いたいことのすべてを語りつくしている。
そして言葉に依存している者ほど、言葉に騙されて、裏切られる。
「バルフィ」は、そんな映画なのだと思った。