「ドキュメント 宇宙飛行士選抜試験」 大鐘良一 小原健右 著

本当に素晴らしいのは、叶うかどうかも分からないもののために覚悟を定めて過ごしてきた彼らのそれまでの毎日なんだ。


昨年は大学生の就職活動、いわゆる就活を間近で見る機会があった。
筆記試験や適性審査、場合によっては5回、6回にも及ぶ面接試験。
理不尽な試験もある、下品な面接者もいる、予想もしない質問もある。
その中で忍耐力、胆力の足りない者は疲弊し飾り立てた外面が少しずつ剥げていく。
原石の持つ荒削りな魅力とはいうけれど、生まれてわずか20年ほど、その殆どを大人の庇護下にあった若者たちには、剥き出しにされ評価され、時には切り捨てられるというのは本当につらい試練だろうと思う。
見ているだけの者にとっても、心痛い時期だった。


本書は、日本では10年ぶりの募集となる2008年の宇宙飛行士選抜試験、中でも10人の候補者たちが挑んだ最終試験の密着レポートである。
宇宙飛行士選抜試験、というと「宇宙兄弟」のそれを思い出すが、本書を読むと、ほぼあの描写が現実の試験を模したものであると分かる。
分刻みでスケジューリングされた閉鎖空間での何日も続く集団生活、プレッシャーの中で行われる数々の試験と思いがけない落とし穴。
人が人を評価するのは本当に難しいと思うが、この試験がそれを実現するために練りに練られたものであることは間違いない。


試験の具体的な内容は実際に読む方が絶対に面白いと思うので言及しないが、中には失敗して思わず落ち込んだ姿を晒してしまう候補者もいる。
しかし失敗もまた、試験官にとっては、その受け止め方や立ち直り方、方針転換の素早さなど、候補者の資質を探るための重大な契機となる。
予想もつかない試験の内容は、受験者たちの「地金」を見極めようとする試みであることが分かる。
そして日本だけではなく、アメリカ、NASAでも行われる試験によって、受験者は人となりを徹底的に観察され、評価を下される。
3名の合格者が発表されるラストに、ずっと試験官と一緒に受験者たちを見守ってきた読者は、選ばれるべき者が選ばれるべくして選ばれた、という感慨を覚えるのではないだろうか。


自衛官パイロット、医師、化学者、起業家、技術者…。
今回の最終候補者たちはさまざまな職業と経歴を持つ。
苛酷な宇宙空間に耐えうる者ということで、若さは有利な条件かと思いきや、意外にも今回の候補者たちは、30才から39才と職場でも中堅と呼ばれるような者が多い。
なにしろ、宇宙飛行士には集団を目的地に導くリーダーシップだけでなく、集団の中でリーダーの意図を正確に理解して動き、時にはリーダーに意見を述べるフォロワーシップも必要とされるのだ。
彼らが学校で、職場で、社会の中で、「地金」をどのように精製し、成形し、鍛え続けてきたのか、それは試験の場面、場面で怖いほどに自ずと明らかになっていく。


そのような場面を読んでいると、人が仕事を通して過ごす毎日は決してただただ無意味に捨ててしまう日めくりカレンダーみたいなものではないと感じる。
そしてそんな彼らを試験に送り出した家族たち、職場の上司や同僚たちとの関係もまた、一朝一夕になるものではなく、彼らの地道な毎日の中で培われていたものであることに思い至る。
そう考えると、この試験においては、年齢は決してハンデではなく、その人の持っているかけがえのない強みと転換するのだ。


そして、なにより心動かされたのは、最終試験に挑む彼らの何人もが、幼い頃からずっと、いつ行われるとも、もしかしたら一生行われることもないかもしれない宇宙飛行士選抜試験に備え続けてきたという事実だ。
その「備え続けた日々」はもしかしたら意味を持たずに終了したのかもしれない。
平凡に生きる私たちのうちの何人が、そのような覚悟を持ち続けられるだろうか。
幸い、彼らは受験可能な時にこの試験に参加することができた。
信じ続けたからこそ、「備え続けた日々」は確かに意味を持つことができたのだ。


「幼い頃から夢を持ち続け、そのためにずっと努力を重ねてきた人がその夢を叶えた」
おそらく、その「物語の完成」に似たカタルシスに人は感動してしまうのかもしれない。
でもそれは結果から見た一面的なものに思える。
本当に素晴らしいのは、叶うかどうかも分からないもののために覚悟を定めて過ごしてきた彼らのそれまでの毎日なんだ。
そう考えると、合格者も不合格者も等しく尊敬に値すると私には思える。


就活に失敗したと思っている人もいるだろう、不本意な仕事に就いて毎日を無為に過ごしている人もいるだろう。
できれば、そんな人にこそ本書を読んでほしいと思う。
あなたの毎日はある時、「ああ、このためにこそ、これまでの努力は必要だったんだ」「この日のために、あの時に失敗したんだ」と思える日に繋がっているかもしれない。
もちろん、そんな日は訪れないかも知れない。
だけど、その最高の瞬間が味わえるのは、信じ続けることのできる人だけなんだと思う。


ドキュメント 宇宙飛行士選抜試験 (光文社新書)

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