「スタープレイヤー」 恒川 光太郎 著

ある日突然、身長2mぐらいの、肌も、服も、靴も、ありとあらゆるものが白い妙な男に「運命の籤引きでございます。地球人に、宇宙最大のチャンスが与えられるのでございます。」と言われて丸い穴の空いた箱を差し出されたら、どうします?



麻婆茄子の材料を買って家に帰る途中で、身長2mぐらいの、肌も、服も、靴も、ありとあらゆるものが白い妙な男に「運命の籤引きでございます。地球人に、宇宙最大のチャンスが与えられるのでございます。」と言われて丸い穴の空いた箱を差し出されたらどうします?
私は逃げます。振り返らずに。そしてお家で麻婆茄子を作ります。
だけど、本書の主人公、斉藤夕月さんはその籤を引いてしまう。
そして、彼女は一等賞のご褒美として「スタープレイヤー」になり、別世界に旅立ってしまうのだ。


「スタープレイヤー」とは、その別世界における特別な存在。
この世界に彼ら(他にもいるんです)を呼び寄せた謎の存在フルムメアによって授けられた10の願いが叶うスターボード。
スターボードに書き込めば、どんな願いもたちまち実現し、望めば城も兵器も食料も、自分に従う家来たちも、理想的な恋人もあっという間に現れる。
そして夕月さんは若返りと減量と美貌を手に入れ、大庭園に囲まれた理想の自宅を別世界に構える。
そして100日を過ぎれば元の世界に戻れるはずなのに、結局この世界に留まることを選択するのだ。


おいおい、そんなに簡単に現実を手放していいんかい!と突っ込みたくなるが、実は彼女はつらく哀しい過去を抱えており、元の世界にはまったく未練がない様子。
しかし一方で、理想郷に思えたこの別世界にも、実は現地の人々やスタープレイヤー同士の戦いがあり、裏切りがあることが分かってくる。
いつしか別世界に根を下ろし、現実では手に入らなかった友情や生きがいを見出した夕月さんは、やがて願いごとを自分のためではなく人の幸せのために使うことを考え始める…。


「夜市」の作者さんなので、どこでどんなひねりがあるのかとちょっと構えていたところがあるのだけれど、本書は素直にそのまま楽しむのが一番。
別世界の設定やスタープレイヤーにまつわる様々な決まりごと、別世界の現地人との関係や元の世界から別世界に連れてこられた一般人たちの取り扱いなど結構ややこしい気もするが、オンラインゲームのルールと思えば違和感なく読めてしまう。
インターネットの世界で、現実の自分とは違う自分に簡単になれてしまう今の魔法のような現実が、本書のSF的設定をさほど遠い世界の話には感じさせないのかも知れない。
現実を何の未練もなく捨て去り、ひらりと別世界に飛び込んでしまう主人公の夕月さんの姿はネットの魔法に魅せられてはまり込んでしまう人々と同じようにも思える。


そういえば以前、私もあるオンラインゲームに参加していた。
シミュレーションバトルゲームで、同盟を組んだ仲間たちと敵チームと戦う。
仕事や日常のあれこれの合間に参加する無課金パートタイマー勇者だが、メンバーに恵まれていたのかアットホームな毎日を過ごしていた。
戦略会議の途中で交わされるたわいもない冗談、 協力して敵の攻撃に備える夜、朝。
そんな或る日、東日本を地震津波が襲った。


急いで同盟内で安否確認をする。
直後に安否を報告する者、2〜3日してやっと連絡が取れた者、最後まで連絡が取れなくなってしまった者…。
いつもはゲーム内の役割に応じた仮面を被っているのに、その時だけは、その瞬間それぞれの生活のどんな場面で、どんな思いをしたのか、ある者は饒舌に、ある者はひたすら聞き役に徹し、私はニュース映像を見つめながらゲーム内の会議室で夜を徹して話し合った。


ちょうど時期的に進学や転勤などのタイミングとも重なっていたためか、当時同盟の会議室はプレイヤーたちそれぞれが、かりそめの姿のまま、リアルな悩みを吐露しあう場になった。
ただ聞くことしかできなくて、でも本当は、かりそめの姿ではなく、本物の声で話し、本物の耳で聞きたかった。
やがて、徐々に全員が落ち着きを取り戻し始めた頃、次第に私は何かの役目を果たしたような気になりゲームから引退してしまった。


2ヶ月ほどして、そのゲームアプリを削除しようとふと覗いてみると、仲間の一人からDMが一通届いていた。
いろんな思い出とともに、「ありがとう」そして「またどこかの世界で会おう!」という言葉。
かりそめの世界だったし、かりそめの私だった。
だけど、そこには本物と言っていい優しさや楽しさがあった。
いつかまたオンラインゲームに参加することがあったら、絶対にあの時と同じ名前で参加すると決めている。


さて、夕月さんはかりそめの世界の、かりそめの姿のままで本当の安らぎを得られるのか。
私は、現実とかりそめの世界、どちらでも出来るだけ自分自身であり続けようとすることが心の平安に繋がるんじゃないかなと思っているのだけれど。
別世界にも、もちろんリアルと同じ残酷さも醜さもある。
夕月さんも、きっと別世界でもそれらから逃げることは出来ないはず。
スターボードの力に頼らずにそれを乗り越えていけるのか、これからの夕月さんが見たい。