「名もなき花の 紅雲町珈琲屋こよみ」 吉永 奈央 著

まるで自分もそこに住んでいるかのような町、紅雲町。そして通いたくなる珈琲屋、「小蔵屋」。店長お草さんの入れるコーヒーは温かくて、ちょっぴり苦い。



小学生の頃、夏休みになると弟と2人、母の兄であるおじの家に1ヶ月ほど送り出された。
新幹線で数時間、バスも日に4〜5本くらいの、店もない、人もいない自然だけはある田舎暮らし。
近所に住む母の姉であるおばにはよく「小賢しい!女は小賢しくて得することなんかないよ!」と叱られた。
何が気に障っていたのか、このおばには何をやっても叱られた。
一方、おじやおじの家族からは一度も怒られた覚えがない。
かわりに何を言っても、何をしても、彼らは私に「賢いなあ」と言い続けてくれた。


本書は「紅雲町珈琲屋こよみ」シリーズの「萩を揺らす雨」「その日まで」に続く連作短編集、文庫版の最新作である。
主人公は珈琲豆や和雑貨などを販売する「小蔵屋」を営む女性、杉浦草。
デビュー作の「紅雲町のお草」では御年76歳、と紹介されている。
76歳といえば身体もそうだが判断力も少々覚束なくなる方も出てくる年頃だが、彼女は年齢の割にとても元気で頭の回転も早く、その世間知とも相俟って、ご近所や周囲の人々の困りごとやトラブルに関わっては、控えめに、だけど凛として解決の手助けをしていく。
通勤の合間に少しずつ読んでいたのだが、1作目では少々出張りすぎに思えたお草さんの言動が、刊を重ねるにつれて程よい抑制の効いたお節介に変化しているようで、3冊目にしてようやく気持ちがしっくりし始めた。


どうやらお草さん、いわゆる”巻き込まれタイプ”で、76歳というご年齢には荷が重そうなトラブルに次々遭遇する。
そのトラブルの種類もさまざまで、その内容は世相を反映して高齢者や幼児の虐待が疑われる事件や、大切な「小蔵屋」という店に関わる事件が多い。
ただし他の”日常の謎”本たちと違って、お草さんの巻き込まれるトラブルの根っこには、現実世界でも時折出会う、人間の心に潜む暗い闇のような、もの狂おしいものが横たわっている。
紅雲町は決して絵に描いたような夢の町ではないのだ。


今回本書でお草さんが巻き込まれるのは、ある郷土史上の発見にまつわるトラブルで、地元の学者親子やその師弟関係も絡み、長年にわたって隠されてきた秘密が明らかになる。
どんな秘密も、それが思いやりから生まれた秘密であっても、隠そうとすればするほど人間関係をいびつにしてしまう…ちょっと苦味のあるストーリーだ。
毎回変化していくお草さんをめぐる人々の境遇や環境の変化も楽しみで、小蔵屋唯一の従業員久実さんの恋や親友の由紀乃さんの病状に私も一喜一憂してしまう。


先日、おばの葬儀に出た。
遺影を見ながら、「相変わらず小賢しい!」と子供のように叱られたいと思う。
大正生まれの故人はもちろん、参列者はみな高齢で、会場の後ろの席から弟と親類たちの小さな背中を眺める。
最前列に座るおじの背中を見ていたら急に寂しくなり、後でこっそり「長生きしてね」と言ったら、ちょっと嬉しそうに笑ってくれた。
その顔を見て、この人がいなくなったらどうしよう、と目の前が暗くなった。


このところ、人との別れが続き、とても堪えている。
特に幼い頃の記憶を共有する人と別れは、身を削られていくようだ。
幼い頃受け取った叱責の言葉や褒め言葉は、誰も面と向かってそんなことを言ってくれなくなった大人の私にとっては、時々取り出しては眺める秘密の宝物だ。
それは、重しのない私のような人間が、他人の目や世間の評判といった急流や渦に飲み込まれないように踏みとどまるための錨でもあった。
なのに、これから先、それを与えてくれた人々が目の前からいなくなっていく…いい年をして迷子になってしまったようだ。


幼い息子を始め、身内を次々に喪ってきたお草さん。
毎日身繕いして、お店に立って、美味しいコーヒーを入れ、滋養にあふれた食事を作って…。
謎解きはもちろん楽しいのだが、私よりもたくさんの大切なものを喪ってきた人の丁寧で、当たり前のことを当たり前にこなしていく毎日の描写に、どんな運命も受容してくしかないんだよと諭された気がした。
シリーズ3冊を一気読み、ここ数日の虚しさを忘れて、癒された読書だった。

萩を揺らす雨 紅雲町珈琲屋こよみ (文春文庫)

萩を揺らす雨 紅雲町珈琲屋こよみ (文春文庫)

その日まで―紅雲町珈琲屋こよみ (文春文庫)

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名もなき花の 紅雲町珈琲屋こよみ (文春文庫)

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