映画「ジャージー・ボーイズ」

「まだ駆け出しの頃、街灯の下で4人して俺たちだけのハーモニーを作った。あの時、他のことは消え失せて音楽だけがあった。最高の瞬間だ」


今の仕事は、それぞれの部署で3〜4人のチームになって、半年から1年ごとにメンバーを入れ替えしながら回っている。
半年から一年ごとに違うメンバーで顔つき合わせて仕事をしていると、揉め事もあるけれど、一方でこれぞベストメンバー!と思える組み合わせに出会うこともある。
まるで化学反応が起こったかのようにすべてがうまく回り、サクサク課題が解決する、そんな組み合わせ。
お、これは!と思って引き続き同じメンバーで、と希望してみるのだが、これが不思議なことに、同じ組み合わせなのに急にうまく行かなかったりするんだなあ。


なにが違ってしまったんだろう…人間関係の妙というやつだろうか…期待値が上がって私が良さを感じられなくなったのか…。
だけどそんな試行錯誤を10数年以上も続けていると、なんとなく分かってきたことがある。
ベストな組み合わせがあるわけじゃない。
多分あるのは「ベストな時」。
たまたま、「人と場所と時がうまくハマる瞬間」というのがあるのだ。


「まだ駆け出しの頃、街灯の下で4人して俺たちだけのハーモニーを作った。あの時、他のことは消え失せて音楽だけがあった。最高の瞬間だ」


映画の終盤、フランキーのこの言葉を聞いて私が思い出したのも、このことだった。


ジャージー・ボーイズ」は、1950年代から60年代にかけて数々のヒット曲を飛ばした4人組バンド、ザ・フォー・シーズンズの誕生とその栄光、離散…そしてボーカルのフランキー・ヴァリの復活を描くクリント・イーストウッド監督による映画だ。
同名のブロードウェイミュージカルを下敷きにしたものだが、映画ではジャージー・ボーイズという題名の由来となった彼らの出身地ニュージャージー州での出来事や地元のギャングとの繋がりなどをじっくり取り上げ、のちの彼らの繋がりの強固さと、金や女、薬といった誘惑への脆さに説得力を持たせている。


その頃ニュージャージー州で若い男性が地元を脱出する方法は3つしかないと彼らは言う。
軍隊に入るか、マフィアになるか、有名になるか、前2つの選択肢の行き先は死だ。
そして、彼らは有名になるという選択肢を選ぶ…マフィアとの繋がりも保ったまま。
音楽的才能と魅力的なファルセットボイスに恵まれたフランキー、野心家でリーダー格のトミー、作曲を担当し多数の曲をヒットチャートに導いた立役者ボブ、ギターと声で低音を担当し全員の緩衝役を務めるニック。
彼らの個性が光り輝き一躍スターダムにのし上がる春、栄光と贅沢に溺れ我を失う夏、友情も家族との絆もバラバラになって行く秋、大切な人を失い一人ぼっちになり…それでも歌い続ける冬。
映画では、そんなグループの四季(フォーシーズンズ)が描かれる。


移り行く時の流れを止めることができないように、みんなでハーモニーを楽しんでいたメンバーたちが、それぞれに変わっていくことを誰も止めることができない。
もはや違う方向を向いてしまったメンバーたちに、「他のことは消え失せて音楽だけがあった」最高の瞬間が訪れることはない。
誰が悪いのか、なにがいけなかったのか、誰にも分からない。
すべてが変わってしまった後で、時間は逆行しないということだけが分かる。
私にもあった。
毎日のように何十人ものメンバーが一つのタクトを見つめて一心不乱に演奏した曲、たった一度のコンクールの演奏、あの一瞬。
あの時、この一瞬は唯一無二の瞬間だと気づいてはいなかった。


だけど、この映画は移り行く時間の切なさだけを描いているのではない。
どんなにメンバーたちが苦しんでも悩んでも、彼らの音楽は人を楽しませ、喜びを与える。
映画では何度も彼らの曲に熱狂する観客たちが描かれていた。
ザ・フォー・シーズンズだけではなく、偉大な作曲家たちもしかり、ヒットメーカーのロックグループたちもしかり、音楽というものは、作り手個人の不幸や悲劇、グループのメンバー間の人間関係のいざこざなどを超越して、いやむしろそういったこととはまったく別の場所で残酷に屹立している。
音楽とは、人間が足掻いてもしがみついても閉じ込めておくことのできない「ベストな時」、その一瞬を、「永遠」という形として残すことのできるのだ。
そして、この映画はその奇跡の力を私たちに見せつけているのではないかと思うのだ。


ジャージー・ボーイズ オリジナル・サウンドトラック

ジャージー・ボーイズ オリジナル・サウンドトラック