「駄作」 ジェシー・ケラーマン 著

手練れ読者の皆さん。言っておきますが、本書では、絶対に皆さんの予想は外れます。外れる上に、ひっくり返されて、逆さ吊りにされて、打ちのめされて、泣かされます。スレた読者にこそ読んで欲しいすごい本。


いや、すごい作品。
他になんと言って良いのか分からないなあ…まあ読んでみてくださいとしか言いようがない。
裏表紙に【本書には奇想天外な展開があることを警告しておきます】とあったが、まさにまさに。
冒頭のキングの笑っちゃう賛辞(ホンモノ?)から始まり、まさかのラストまで、こんな小説読んだことがない。


ところで私は、TVドラマを観るのが好きで、毎期、お気に入りを2〜3作見つけ、視聴しつつTwitterのつぶやきを確認し、次回予告を分析し、感想を家族と討論するのが楽しみ。
時にはネットの感想欄をチェックすることもあるのだか、先日最終回を迎えたある番組の感想欄を覗いたら驚くほどに荒れていた。
なんて陳腐な終わりかた!
こんな平凡な結末になるなんて!
あまりにも予想通り!つまらない!
うわーなぜそんなに怒っているのだろう。
すべての視聴者の予想を裏切る驚愕の展開ばっかり狙って作ってたら、万に一つくらいは大傑作が出来上がるかもしれないけど、その作品おそらく「駄作」になりますよ…。


というわけで、本書。
本書の主人公はしがない作家くずれのブフェファコーン。
彼は何年も前に一冊だけ本を出し、その後は鳴かず飛ばず東海岸地域の小さな大学で創作を教えている。
そんな彼の元に幼なじみのビルの訃報が。
ブフェファコーンは、未亡人となったカーロッタの元に駆けつけるのだが、実は心中は複雑。
なにしろ彼と違って、ビルはいわゆるベストセラー作家だったのだから。
ビルはこれまでサスペンス小説のリチャード(ディック)・スタップものを33作出版しており、いずれも出せば売れるという人気シリーズだ。
ビルの本は、ブフェファコーンにとってはいわゆるありふれた常套句が並べられた通俗小説で、彼の成功は純文学志向のブフェファコーンにとっては許し難いことなのだ。
ついつい追悼文にこんな言葉を書いてしまうほどに。

ビルへ。きみは卑しい売文家だった。

まあ…「ちいさいオトコ」なのである。


しかしブフェファコーンの気持ちも分かる。
だって、ビルの未亡人であるカーロッタはブフェファコーンのかつて愛した女性。
おまけに学生時代は自分の方が才能も上だと思っていたし。
自分の人生の夢も希望もビルがかっさらっていったように思うのも無理はない。
いろんな思いが複雑に絡み合い、なんと彼はその後、ビルの仕事場で出版予定の原稿を見つけ、それを盗み出し、自分の原稿として出版してしまうのだ…(ただし許し難い常套句は書き直した上で)。


ここまで聞くと、なんとなく先が読めそうだと思う手練れ読者の皆さん。
言っておきますが、絶対にその見込みは外れます。
外れる上に、ひっくり返されて、逆さ吊りにされて、打ちのめされて、泣かされます。
本当に「奇想天外」の展開。
小説のお約束をことごとく破ってます。
そしてそれを破ること、破られることの悦びにあふれています。


この本を自分の予想通りに展開するドラマに怒り狂うみなさんにぜひ読んで欲しい。
そして、聞きたい。
「予想を裏切る展開って、そんなに素晴らしいですか?」
私は、読者なんて、所詮は本の絶対神である作者の僕に過ぎないと思っている。
本を手に取り読み始めた瞬間に我々は作者(神)の提供するものを受け入れてしまったんですよ。
批判なんてとんでもない、私は常に神の作品に平伏している(嘘です)。

本は人間によって作られる。人間は不完全なものだ。その不完全さゆえに、その本は読む価値のあるものになる。完璧ではないものを紙に書きとめる行為にはパワーが必要で、それは結局、書いた本人に返ってきて、自分を高めてくれる。本というのはしなやかな機械で、それを作った人間を神に変える。信じがたいけれど日々そういうことが起きている。

そしてまた不完全な人間である読み手もまた、その不完全さゆえに、本によって自分を高めさせてもらっている。
本ってすごい!
もしかしたら、くそー金と時間を返せーーー!と、本書を壁に投げつける人もいるかもしれませんが。
そのような方は、完全な神による完全な小説を求めているのかも。
残念ながら、人の手になるものに完全なものはないと思うし、だからこそ、楽しいことがこの世にはある、私はそう思うんだけど。
そう思える方は、是非ご一読を!


駄作 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

駄作 (ハヤカワ・ミステリ文庫)