「弱いロボット」 岡田 美智男 著

この本を読むと、否定的な言葉として捉えられることの多い「弱さ」、これがいつしか宝物のようにも思われてくる。だって「弱さ」を持たない人なんていない。そしてそれが私たちが理解し合うための手掛かりになるのだ。


小学生の頃、転校した。
以前通っていた小学校で賑やかな学校生活を送っていたから、転校先でもきっと楽しくやれると信じていた。
ところが、どの子と接していても最初からなんとなく会話が弾まず、気詰まりな空気が流れる。
だんだん避けられているような気がして、学校に行くのもつまらなくなった。
多分図書館がなかったら登校拒否をしていたかも知れない。
その後少しずつ友人もでき、学校がつまらないものではなくなったが、今もあの違和感はなんだったんだろう、何が悪かったんだろうと時折、転校後の1〜2年間を思い起こすことがある。


さて本書は、医学書院の「ケアをひらく」というシリーズ中の1冊。
「ケアをひらく」シリーズは、「べてるの家」の一連の本やケア、介護、看護などに関する優れた書籍を次々に刊行しているのだけれど、その中で、本書のテーマは一風変わっている。
「ロボット」だ。
介護や看護は対人間の行為であり、ロボットというのはそれと対極にあるように思う。
また「弱さ」という言葉も、まことに人間らしい言葉のように思う。
果たして「ロボット」と「弱さ」とはどのような関係にあるのだろう。


著者は音声科学、音声言語処理、認知科学、生体心理学、社会的相互行為論、社会的ロボティクスなどの分野を行きつ戻りつしながら、現在はロボットを使ったコミュニケーションについて研究している。
その中で雑談、つまり「おしゃべり」を研究するためにコンピュータで仮想的な生き物を作った著者は、それらが発する「あれ、それ、これ」という指示語のなかにある豊かな世界に気づいたのだという。


そこからヒントを得て著者が作ったのが、「む〜」という丸い体に大きな一つ目のロボットだ。
この「む〜」、私たちがよく知っているロボットたちのように走るわけでも空を飛ぶわけでも大きな荷物を運んでくれるわけでもない。
ただただ、人に話しかけられれば健気に「む〜む〜」と非文節音を返すだけ、自分で動くこともできないのだ。
ところがこの役に立たない弱いロボット「む〜」が、子どもたちや高齢者の中で意外な人気を得る。


彼らは「む〜」を見て語りかけ、非文節音の返事と目の動きから「ねむいの?」とか「お腹空いたの?」と尋ねる。
情報が十分でないことが逆に、「なり込み」と言われる自分の体を通して相手の状態を推し量ろうとする「関係としての同型性」に依拠した解釈を人から引き出すのだ。
著者が「む〜」を障害のある子どもの施設に連れて行った時、子どもたちは「む〜」に対して日頃は見せない行動を取ったり積極的に関わりと持とうとする。
「む〜」の弱さが、逆に子どもたちからアシストを引き出していたのだ。
ロボットを引き算で作ることで、「役に立つ」部分をそぎ落とすことで、逆に深まる関係性。


一人では何もできないような、思わず手助けしたくなるロボット、そして自分の立場やアイデンティティをいつも他者との関わりに探し求めている私たち。ロボットと私たちの関係は、ある意味で「弱さ」と「弱さ」から生み出される、ソーシャルなカップリングと捉えることができるだろう。


否定的な言葉として捉えられることの多い「弱さ」、これがいつしか宝物のようにも思われてくる。
だって、「弱さ」を持たない人なんていない。
人は幼いことで、歳を重ねることで、怪我をすることで、病気をすることで、否応無く自分の「弱さ」を受け容れざるを得ない時がある。
しかし、この「弱さ」の共有こそが他者と分かりあうための私たちのきっかけ、手掛かりになるのだ。


しかし、「弱さ」はネガティブなイメージを伴う言葉だけれど、こうしてじっくりつきあってみるとまんざら悪くもないなあと思う。それを受け入れたうえで、だったらそれを積極的に生かせないか。あきらめではないけれど、うまくつきあっていけたら、その「弱さ」を超える、いやむしろ「弱さ」をちからに変えていくような、ポジティブな側面も拓けてくるのではないか。


この本を読んでいて、あ!と腑に落ちたことがある。
著者がロボットを使ってコミュニケーションを研究するきっかけとなったのが関西への転勤で「ボケ・ツッコミ」の会話に衝撃を受けたからだという。
関西弁のボケとツッコミとの間にある、自分の言葉を他者に委ね(投機)、それをしっかり支える(グラウンディング)関係は、まるでステップを踏みながらダンスを踊るようなものだという。
転校した時に感じたあの違和感、その原因はこれだったのではないか。
私の関西弁は、それに不慣れな人にとっては、まるでコンサート会場で受けとめ手のいない観客席に一方的にダイブするような危険な行為に思えたのかも知れない。
よく笑われていたけれど、戸惑わせていたとは思ってもいなかった。


そう言えば、転校して数ヶ月後に同じ市出身の子が転校してくると聞いて喜んだ。
今度こそ、笑われることなく話ができる。
ところが、その子ともさほど親しくなれなかった覚えがある。
自分の未熟さが原因なのかなあと悩んだけれど、その原因は、今なら分かる。
私もその子も「ツッコミ」だったのである。



弱いロボット (シリーズ ケアをひらく)

弱いロボット (シリーズ ケアをひらく)