「しんがり 山一證券 最後の12人」 清武 英利 著

後軍、しんがりーーーそれは敗軍の最後尾で、退く味方たちを逃し、最後まで踏みとどまって戦う兵士たち。倒産した巨大証券会社で、世間そして味方と思っていた同僚たちからも疎まれ、非難されながらも、彼らが最後まで戦場に踏みとどまった理由はなんだったのか。


以前どこかで書いたことがあるが、私が事あるごとに思い出す先輩の言葉がある。
職場で、いつもなにかや誰かに怒っていた私に、年上のその先輩は達観した様子でいつも同じことを言った。
「怒ることじゃないよ。生き方の問題だよ」



創業百年を超えた老舗、山一證券が、巨額の簿外債務を抱え、自主廃業に追い詰められたのは1997年のこと。
日経新聞がそれをスッパ抜いた前日まで、店舗では通常業務を行い、中には会社を応援するために直前に持ち株を買い増した社員もいたという。
けれど、負け戦からは直ちに撤退しなければ自分も家族も生きてはいけない。
社員たちは我先に新しい食い扶持を求めて会社から逃げ出そうとした。
ところが、そのような局面で、会社に留まり、同僚たちや顧客、世間一般の人々の「なぜ山一は破綻したのか?」という疑問に答えを出そうとした社員がいた。



彼らは誰から任命されたわけでもなく、権限を与えられたわけでもない。
たまたま社内で監査や審査に関わる業務に就ていた12人の元社員たちだ。
彼らは、昨日まで自分たちの同僚だった者たちに聴き取り調査をしながら、山一證券破綻の全真相を明らかにしそれを調査報告書として発表した。
その報告書は、マスコミも驚くほど克明かつ正確で、不正行為に加担した者の実名も記載されていたことから、元同僚からは非難されることもあったという(訴訟を抱える社員、役員もいたため)。
中には無給で加わった者もいるそんな彼らを支えたのは、山一證券清算会社で自社の解体のために勤務した「清算社員」たち。
実は、調査委員会の面々も、清算会社の社員たちも、ほとんどは会社が通常の営業をしている時には、「場末」と呼ばれるビルで本流から外れた仕事をしていた人たちだった…。



山一が自主廃業に追い込まれる10年前、総会屋事件で四大証券会社の幹部が次々に摘発され社会が揺れていたその頃、私は証券業ではない別の金融関連の会社に勤めていた。
本書を読んでいると当時の独特の「あの空気」が蘇ってくる。
事件前、ある証券会社の女子社員から「私の持ち株を今売却したら約1億円よ」という話を聞き、また、別の女子社員からは「おカネが余っているから」という理由で着るあてはない豪華な振袖を購入したという話を聞いた。
当時の上司はある証券会社の社員に「借金をしてでもNTT株を買え」と勧められ、実際にローンを組んで家族の名前で次々に同社株を購入していた。



それを平然と見聞きしていた私も含め、あのすべてにつけて「カネ、カネ」という不思議な感じはなんだったんだろうと今は思う。
そして、そんなにもてはやされていながら、その「カネ」はなぜあんなにも果てしなく軽かったのか。
本書を読むと、その軽さが人の判断を狂わせ、不正に手を染めさせたのだということがよく理解できる。
調査委員会の発表した報告書は、「カネ」を弄んだ者によって大切な会社が滅んでいった経緯を明らかにする。
社員たちが知らないところで行われた経営中枢にいた者たちによる利益重視の不正行為、そして巧妙ではあるが、いつか必ず露呈することは明白な子供じみた隠蔽行為が彼らの会社を蝕んだのだ。



山一證券がその歴史を閉じた時、社員たちはそれぞれに人生の選択に直面し、その結果を背負って今も何処かで生きている。
彼らの中には、しんがりで奮闘した社員たちもいれば、顧客に罵倒される仕事場から抜け出しいち早く別の会社に転職した社員、会社の終焉も待たず早々に辞表を出した役員たちもいた。
どの人も自分の生き方に基づいて道を選択したはずだ。



誰かの選択の良し悪しなんて、他人が判断出来ることじゃないし、選択の結果は否応なくその人自身が受けとめるしかない。
ただ、私たちは、いつも機会ある毎に生き方を試されているのではないかと思う。
今自分がいる場所、自分の周りにいる敵も味方も、偶然ここにいるわけではない。
境遇や環境が生き方を規定するのではなく、それぞれの生き方が境遇や環境を規定している。
「生き方の問題だよ」
というのは、そういう意味じゃないだろうか。
職場を去ったあの先輩と同年代になり、そのことを実感するようになって、私は(そんなに頻繁には)怒らなくなってきた。



著者の「なぜ、あなたは貧乏くじと思われる仕事を引き受けたのですか?」という問いかけにしんがりのメンバーたちはこう答えたという。


圧倒的に多かったのが、「誰かがやらなければならなかったから」という趣旨の回答であった。
「自分の宿命だった」「そういう定めになっていた」「否応なく自分に回ってきた」。ーーー言葉は様々だが、私はサラリーマンの哀しいほどの律儀さと志操の高さに圧倒された。


著者である清武英利氏自身も現在対峙している「会社」という存在の巨大さと、一人一人の会社員という存在のささやかさ。
でも、その巨大さにつぶされず、自分の生き方を通した者たちが持つその矜恃。
さて、私ももう少し頑張ろう。
そう思った。