映画「LIFE」

先日、ふらりと下宿先から帰って来た息子に誘われ映画に行った。
事前に知識もなく見つめるスクリーンでは、深いシワの刻まれたジュリー・アンドリュースが温かく優しい笑みを浮かべていた。


雑誌「LIFE」誌で16年間写真のネガを管理する仕事に就ていたウォルター。
彼は高齢の母(この役がジュリー・アンドリュース)の世話と、いい年をして夢見がちな女優志望の妹の経済的な支援をしながら傍目には退屈そうな仕事場に毎日通っている。
同じ会社には憧れの女性シェリルがいるのだけれど、とても声をかける勇気はなく、彼女が登録をしている出会い系サイトに自分も登録してみたものの、プロフィール欄を埋めることすらできない。
彼の人生にはあまりにも「冒険」がないから。


そんな冒険のない人生が、勤務先の会社の合併と「LIFE」誌の休刊という大事件によって大きく動き出す。
休刊前最後の「LIFE」誌の表紙を飾るのは世界を飛び回る写真家ショーンの「これぞLIFE、人生の真髄」と言わしめた一枚…のはずだったのだけど、なんとその写真のネガが行方不明になってしまう。
折しも社内では、会社再建屋を名乗るいけすかない男性にがやって来てリストラを断行し始める。
自らのクビを賭け、なんとかネガを手に入れるために、彼は世界中を駆け回るショーンを追い求めて旅立つ。
極寒の地グリーンランドへ、アイスランドへ、アフガニスタンへ…。


ついさっきまで会社の片隅、静かな薄暗い部屋でネガを覗き込んでいたウォルターが、酔っ払いパイロットと一緒にヘリで飛び、サメの泳ぐ嵐の海でダイビングをしたり、火山の噴火を危機一髪でかいくぐったり。
人生の瞬間瞬間の密度というのは、きっかけさえあれば、こんなにも突然に変わり、人は案外簡単に変化に適応できるものなんだ。
いや、本当はウォルターは準備が整っていたのではないかとも思う。
新しい世界に飛び出すための準備が。


ウォルターが出会い系サイトのプロフィール欄を作成しているシーンがあった。
自分の特徴、好きなもの、将来の希望…。
ウォルターはそれを埋めることのできない。
空欄のままでは誰も君にウインク(申し込み)してくれないよ!とサイトの運営者であるトッドが言う。
所々に挟まれるトッドとのシーンは、ウォルターが「自分」や「人生」を語り直し、新たな定義を発見する、その過程を表している。
彼は数々の冒険で、新しい「自分」を発見する。
ただ発見するのではなく、トッドという聞き手にそれを「語る」ことで、「自分」を定義し直し、そこで初めて人生、LIFEが変わってくるのだ。


「自分を変えよう!」
と宣言して、知らない国を旅したり、勉強に挑戦したり、本を読んだり、エステに行ったり、ダイエットをしたり。
行動することはもちろん大切なんだけど、行動することだけでは人は変わらない。
「自分」をどう定義するのか、それが変化しないことには。


ウォルターは家族のために「なんの冒険もない自分」を生きていかなければならなかった。
しかし、職場環境が変化し、好きな女性も現れ、今までの自分ではいられなくなった時、彼は生きるために「自分」を定義し直さなければならなくなった。
自分について
「僕には何もない」
と語る代わりに
「僕は嵐の海でサメと戦った!」
「火山の噴火の中、必死で脱出した!」
と誰かに語ることがウォルターの背中をぐんと伸ばす。
俯いていた顔をまっすぐ前に向かせる。


代わり映えのしない毎日の中で、些細な発見が私の認識のフィルターを変えていく。
アパートの鍵貸します」のキュートなヒロインがおばさん体型になりシワが目立つようになって、それでも魅力的に見えたこと。
息子が重い荷物をさりげなく持ってくれたり、傘をさしかけてくれるようになったこと。
年をとることも悪くない。
労られる立場になるのも悪くない。
ウォルターが「語る」ことで自分を変えていったように、私もここにこうして書くことで認識のフィルターを置き換えようとしている。
自分の人生に新たな定義を発見し、希望を見出すために。


LIFE! オリジナル・サウンドトラック

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