「借りの哲学」 ナタリー・サルトゥー=ラジュ 著

貨幣経済の仕組みが社会の不均衡をあらわにし、人と人と間を分断し始めた現代。著者は、「借り」を媒介にして他者と繋がる社会を実現することを提案する。

以前食事していた時、ある男性の「自分は親からは何もしてもらってないんで」という言葉に抗議したことがある。
その頃、私は幼い子供を抱えて四苦八苦。
やっと夫や親に預けて短時間の外出ができるようになってきた頃だったので、思わず「そんな大きな図体にしてもらったんは誰のおかげや!」と叱ってしまった。
(ごめんなさいU君、でも風の便りに最近父親になったと聞いたあなたが今は何というのか聞いてみたいなと思う)


まあ、どんな人生観によって生きるかは人それぞれではある。
誰にも何にも負債を負いたくないと思い、生きていく人もいる。
それが悪いとは思わないが、ただ、私たち人間は誰もが、生まれ落ちたその瞬間から他者の手を借りなければ生きていけないのは確かだ。
負債を負いたくなくても、今生きていること自体が、誰かからあるいは何かから借りを負っている証拠になるのだ。


本書はフランスの哲学者ナタリー・サルトゥー=ラジュが2012年に発表した著作の全訳である。
著者は本書で「借り」という概念をもとに、現代社会に生きる人々が感じているであろう閉塞感の正体を解き明かし、その上で人を繋ぐ新たな仕組みと社会体制を構築しようと試みている。


私たちが当然のように営んでいる貨幣を媒介にする資本主義社会体制。
しかし貨幣が人の営みに組み込まれる以前、人はモノの「交換」と「贈与」によって社会を組み立てていた。
「交換」や「贈与」は人と人とを結びつける一方、延々と続く名誉をかけた交換・贈与の悪循環、与えるものを持たない不名誉や罪悪感、そして場合によっては「主人ー奴隷」のような支配関係を生じさせた。


ところが貨幣の導入により、人は交換したものや贈与したものを計量化し、等価で交換したり、負債を返済することが可能になった。
人はそれにより交換と贈与の循環を切断する「自由」を得たのだ。


素晴らしい!はずなのだが、果たしてそれで人は幸せになったのだろうか。
著者はこう言う。


《等価交換》を金科玉条のものとする貨幣経済を押しすすめた結果、私たちは《借り》を通じて他者と関わることができなくなってしまった。他者と関わらなければ、「自己」は成立しない。そこで私たちは「アイデンティティの危機」にさらされ、自分が何に依っていて、何をすべきかわからなくなってしまったのである。


また貨幣経済は、本来であれば天賦のものであるはずの才能も容色も、切り売りできるものと変えてしまった。
まるで最初から自分だけのものであったかのようにそれを享受し、その効果を自分だけのものにする人々。
天賦の才や機会に恵まれない人々との格差は広がるばかりだ。
自己責任の名の下に。


「借り」を否定し「自由」を得て、私たちは弱いものが互いに交換し贈与し合える「関係」を、「繋がり」を失った。
そして人は寄る辺ない存在になったのである。
そこで、著者はこの貨幣経済を元にした「《等価交換》ー《負債》」社会から、「借り」を媒介にした「《贈与交換》ー《借り》」社会への転換を提言する。


著者のいう「借り」をもとにした新たな社会体制というのが、本書では具体的に語られていないので、その仕組みが成功するのか否かは一概には言えない。
「借り」にもまた、負の側面があり、それは恩返しを強要する親子関係などを思い浮かべただけで理解されると思う。
ただ、それに対して著者は、人が「借り」を返すのは特定の誰かでなくてもよいと言う。
人が「借り」を返すのは、あくまでも「社会」へ向けてだと。


読んでいて思い出したのは、映画にもなった「ペイフォワード」運動のこと。
ペイフォワード運動とは、人から受けた厚意をその相手に対して恩返し=“ペイ・バック”するのではなく、複数の他の誰かに違う形で贈って善意を広げていく=“ペイ・フォワード”すること。
これもやはり人と人とを繋ぐためのムーブメントだ。


また「借り」という概念を負債というマイナスのイメージから、次に誰かに渡すべき贈り物というプラスのイメージに転換させるところは、フランクルが「夜と霧」の中で「私」と「人生」の主体を転換させ、人生の目的を欲望から使命に変換させたことを想起させられた。
自分には「借り」があると自覚し、それを社会に対して返していくことを意識して生きること、それは人を変える。
寄る辺ない空虚な存在から、使命を帯びた存在に。


先行する世代から贈られたものを《借り》とし、それに自分がつくったものを加えて、あとから来る世代に贈るかたちで、その《借り》を返すーーーこれによって、個人の歴史は、より大きい歴史、永遠に続いていく人類の歴史につながっていくのだ。



借りの哲学 (atプラス叢書06)

借りの哲学 (atプラス叢書06)