「ウォールフラワー」 スティーブン・チョボスキー 著

主人公は、どんな時も「自分を生きること」から逃げない。どんなに苦しくても、どんなにつらくても。人は自分に生まれつくということ、人の中で生きていかなくてはいけないということを思う。

この本の主人公は「チャーリー」。
なぜカッコ付きかというと、本名は最後まで明かされないから。
本書は、チャーリーがある人物に送る一方的な手紙、という形式で綴られる。
手紙を送る相手は、「君」という呼びかけしか分からない。
なぜ「君」に手紙をしたためることにしたのか、チャーリーはその理由をこんなふうに説明する。


君にこれを書いているのは、あの子が、君ならちゃんと話を聞いてくれるし、パーティのときあいつとセックスできそうだったのに君が手を出さなかったって教えてくれたからだ。



チャーリーは両親と兄、姉と自分の5人家族。
非常にナイーブな、感性豊かな高校生で、数年前大好きな叔母を亡くし、今もそのことで心に大きな傷を抱えている。
家族は彼のナイーブさを理解しているのだけれど、チャーリーが学校で出会う他の学生たちはそうもいかず、彼は人知れず違和感、孤独感を抱えている。


チャーリーが同級生たちに馴染めない理由…例えば、チャーリーは自殺をした同級生を簡単に忘れることができないし、忘れてしまえる同級生たちが理解できない。
そして、そもそもその原因も分からないのに、彼の自殺を止められなかった自分をなかなか許すことができない。
叔母の死に対しても、思い出すたびに「存在なんてしたくない」と思うほど自分を追い詰める。
詮無いことだと分かっていても彼にはどうしようもない。
人には持って生まれた感受性というものがあるのだと思うけれど、チャーリーの毎日を読んでいると、こんなふうに生まれついてしまうということは、本当に苦しいことだと思う。

そんなチャーリーが、ある時パトリックという男子学生と出会ったことをきっかけに、彼の義理の妹やちょっと変わり種の仲間たちとの付き合いが始まる。
この仲間たちがクセものぞろいなのだが、それでいて温かい。
彼らとの交流の中で、酒、ドラッグ、セックスなどに出会い、そして本当に複雑で深い人間関係に本格的に入り込んで行くチャーリー。
人と交わるということは、ひとりぼっちで想像だけしていた時とは違って胸ときめく出来事がたくさん起こる。
けれど、悲しいことに、つらい出来事もまた同じぐらいたくさん起こってしまう。
チャーリーはその度に人一倍傷つき、悲しい思いをすることになる。


そして、そんなチャーリーを支えるもう一つの存在が本だ。
彼を理解する1人の先生が、チャーリーに次々に本を貸して感想を書くよう課題を出す。
アラバマ物語」「ライ麦畑でつかまえて」「偉大なるギャツビー」「ウォールデン 森の生活」…
現実逃避のために本を勧めるむきもあるが、私にとって本は厳しい現実に対する答えを見つける場所だ。
厳しい現実と戦う時に、本がなかったら、どれだけつらい思いをしただろう。
チャーリーは、時には現実の苦しさから逃れるために、時には自分と同じ苦しみを登場人物たちに見出しながら、人によって救われない部分をたびたび本によって救われる。


先日、父のために介護施設を見学している途中、職員の女性から声をかけられた。
「大丈夫ですよ。さいごまで一緒にみていけますよ」
ふいに一人きりで抱えていた不安とか不満とか怒りとか、そんなものがいっぺんに解け出し、不覚にも外にあふれそうになって困った。


なぜチャーリーは仮名なのか。
それは、チャーリーは私だから。
おそらく人として生きる全ての存在がチャーリーだから。
チャーリーは一度は現実に背を向けるけど、最後には家族や友人の待つ現実の世界に戻ってくる。
苦しみの絶えない人の世で、生きにくい自分を生きることを選ぶ。


人との出会いは人の苦しみのもとになってしまうことがある。
時には意図せず人を傷つけてしまうことだってある。
だけど、「一緒に乗り越えましょう」と言い合えるのもまた人だから、やっぱり人は人の中で生きて行かなくちゃいけない。
優しくなりたい。
賢くなりたい。
そして、チャーリーがどんなに苦しくても、人を責めない、現実から逃げないと決めたように、強くなりたい。