「陪審員に死を」 キャロル・オコンネル 著

シリーズ第7弾。今回は、ある裁判において全員一致で無罪を評決した陪審員12人が、殺人鬼から1人ずつ殺されるという陰惨な事件にマロリーたちが巻き込まれる。


キャロル・オコンネルの作品が好きだ。
作品に登場する人物たちが、たまらなく好きだ。
オコンネルの作品に登場する人物のほとんどは、なぜか姿形、知能、精神などのいずれかで異形、異能の人々である。
私はどうやらなにかを欠いている人、なにかを持たない人、常人とは何かが違う人により惹かれる傾向があるようだ。


ある裁判において全員一致で無罪を評決した陪審員12人が、なぜか1人ずつ殺されて行くという事件が起こる。
陪審員たちを狙うのは「死神」と呼ばれる殺人鬼。
そして、隠れて暮らす陪審員たちの情報をリスナーたちから集め、「死神」をラジオで煽り続けるいかれたカリスマDJ。
「死神」はとうとう残り3名となった陪審員を、1人また1人と追い詰めていく。
その事件でなんらかの役割を果たしている様子の脊柱後弯症の女性ジョアンナ。
実は彼女は、マロリーの「唯一の家族」であり銃撃されたトラウマから警察を追われようとしているライカーが、現在もっとも気になっている女性でもあった…。


「死神」の正体。
イカーのトラウマと退職問題。
FBIとニューヨーク市警の警官たちとの緊張関係。
謎の女性、ジョアンナの正体とライカーとの関係。
陪審員たちはなぜ全員一致で有り得ない無罪判決を支持したのか。
そして生き残った陪審員の命を救うことができるのか。


エピソードの一つ一つが個別に起こっているようでいて、それが最終的に筋の通った一つの脚本に従って演じられていたことが分かる、という伏線の回収の見事さ。
荒唐無稽な設定や奇矯な登場人物たちという一歩間違うと物語が破綻しそうな、こんな尖った部品の数々を、最後の最後に魔法のようにしかるべき場所に納めてしまうオコンネルの手管は、本書でも十分に発揮されている。
そしてあとがきにもあった、マロリーシリーズに共通するテーマ。
「人は愛する者のために、どれだけのことができるのか」
私は、何かを欠いた者、何かを失った者たちが、だからこそ、誰かに優しくできるということをこのシリーズは繰り返し教えてくれているような気がするのだ。


シリーズ物の常として主人公は巻を追うごとに次第に変化するものだが、マロリーに関しては、その美貌、疑り深さ、まったく良心を痛めずに嘘をつく、などという基本的な性格は初登場の頃と殆ど変わらない。
シリーズ当初は、彼女の出生の秘密や成育歴などが明らかになれば、彼女の性格も次第に丸くなってくるのではと思っていたのだけれど、いやいや、オコンネルがそんな単純な成長物語を作るわけがない。
読者の周りで歳月がどれほどの速さで駆け抜けて行ったとしても(初登場からすでに20年!)、マロリーはいつも変わらない姿形でニューヨークという残酷で美しい街を走り回っているのである。


最初はその孤高と完璧さがカッコよかったマロリー。
シリーズを重ね、その出生の秘密や荒んだ子供時代、最愛の人を喪ってきた経験などが次々に明らかになってくると、読んでいる私の方が変化して、今では愛を理解できないまま大人になってしまった歪な子どもとしての彼女が愛おしくてたまらなくなっている。
本作でも、あれほど、ライカーを立ち直らせるために周到に計画し脚本を用意したにも関わらず、マロリーは、彼が最後の最後に流した滂沱の涙の理由が分からない。
その理由は彼から語られることはなく、たとえ語られたとしても彼女には理解できない。
その精神の不完全さ、そして哀しさ。
それ故に、私はますますマロリーを好きにならずにはいられないのだ。


陪審員に死を (創元推理文庫)

陪審員に死を (創元推理文庫)