「虎と月」 柳 広司 著

山月記」の李徴の息子が、自分自身の中の「虎」を恐れ、なぜ父は虎になったのかの謎を解き明かすため旅に出た。彼は真相を突き止めることができるのか。

先日、息子と人間の獣性について話をしていて「山月記」のことが話題に上った。
武道を修める彼は、人間の獣性を修行によってコントロールできるかに興味があるのだが、まあそれはおいておく。
近いうちに再読しようと心のメモに残していたら、本屋さんで目に入ったのが、本書の題名。
「虎と月」
そうくると、帯を読むまでもなく「山月記」を嫌でも連想しないわけにはいかない。
本に呼ばれるのもオツだな、と思いつつレジに向かった。


本書の主人公は、「山月記」の主人公である李徴(りちょう)の息子だ。
彼と母親は、失踪した李徴(が変化したという虎)と山中で再会した袁傪(えんさん)に援助されながら生きてきた。
やがて成長し14歳になった主人公は、大きな不安に取り憑かれている。
「虎になった父。では、自分もいつか虎になるのだろうか?」
歳のわりには体も大きく力も強い彼は、時に記憶をなくすほど我を忘れて大立ち回りを演じることがあり、村人たちからも「虎の子は虎だ」と恐れられている。
そして彼は、虎になった父と出会った袁傪が謎を解くカギを握っていると考え、彼の住む長安へと旅立つ…。


あとがきによると、本書は「ヤングアダルト向けに書かれたミステリー」とのこと。
ミステリーという言葉に相応しく、本書では「李徴は本当に虎になったのか」という疑問に対する幾つかの回答が提示される。
え?と思う回答もあるし、そうだったのか!と頷いてしまう回答もある。
いずれにしても、父親の謎を解く過程は、主人公にとっては「自分探し」でもあり、まさにヤングアダルトに相応しいテーマだと言えるだろう。


私自身が「山月記」に出会ったのも、ヤングアダルトと言っても良い時期。
自分の中の「虎」をどう扱ったら良いのか、さっぱり分からず、周囲の人々を傷つけ、同時に自分も傷を負っていた頃。
何度か教科書に載っていたこの作品を読み返した。


人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。 中島敦山月記」より

この李徴の言葉は、大人になった今も心に突き刺さる。
虎は誰の心にも棲んでいるのだ。
ただ、大人になった今は、自分の中の虎を起こしてしまいたい時もあるけれど。


この本を手にしたヤングアダルトが逆に「山月記」を手に取ることもあるのかもしれない。
ぜひぜひセットで読んで欲しいと思う。
本家「山月記」は著者も言うように少し「とっつきにくい」が、流れるような文章、美しい情景、胸に迫る切ないラストは、おそらく誰の心にも深く染み込み、忘れられない一作になること間違いなし。
ある作品に感動した作者がその感動を元に自ら新たな創作世界を築く。
そしてそれを手にする読者がいて、それぞれの作品がその読者の心の中で一つに繋がるというのは、本当に素敵な体験だと思うから。







虎と月 (文春文庫)

虎と月 (文春文庫)