「傍聴弁護人から異議あり!」 北尾 トロ 著

裁判員裁判にかけられた8人の被告人のため、傍聴のプロ北尾トロさんが、弁護人になりきり傍聴席から「異議あり!」。



昔、「師匠」から言われたこと。
「新聞記事を読んでも、ニュースを見ても、『誰にどれだけ請求できるか』を考えること」
おかげで、今も、例えば自殺の記事を見れば、事故物件となってしまったその部屋の損害賠償請求や未払い家賃の請求、保証人の有無などが気になってしまう。
だから最近流行りの法廷ものや弁護士を主人公にしたドラマなどはほとんど見ない。
本筋とは関係ないことばかりが気になって一緒に観ている家族たちにうるさがられてしまうから。
ところが本の場合は、1人で読んで1人でつっこめるのでついつい手が出てしまう。
本書は、そんな法曹本の1つだ。


著者、北尾トロさんは裁判傍聴のプロとも言ってもいい方で、他にも「裁判長!〜」シリーズなどで主に刑事事件を中心に様々な裁判を見聞きし、傍聴記を出している。
あえて、素人(いや、既に半プロと言ったところだが)の視点から分かりやすく、そして厳しく、司法制度の問題点を指摘し続けている。
本書は「季刊 刑事弁護」に連載された原稿を集めたものなので、刑事事件の中でも特に弁護人の立場に立って(傍聴席から)闘うという趣向だ。


裁判における傍聴の役割について、一般の方は過小評価していないだろうか。
「場」の空気は、そこにいる当事者たちの個性、言動によって大きく変化する。
そして人の感情というものは、その空気に大いに影響を受ける。
それは「場」が「裁判」であっても同じことだ。
公判にいるのは裁判官、検察官、弁護人、裁判員、被告人、そして傍聴する人。
それらの登場人物は、皆、互いに影響を受け合い、かつそれを及ぼし合うという関係にある。
その場に「いる」というだけでも、裁判という「場」の形成には少なからず影響を与えているのだ。
よく「人が見ているということ。そのこと自体に意味があるんだよ」と言って傍聴に通っていた先輩を思い出す。
刑事事件は、「国家(警察,検察)」対「一般人(被告人)」の裁判だ。
傍聴する人は、国家の行いを監視をするという役割も果たしているのだ。


さて、平成21年5月から始まった裁判員裁判
本書では以下のような事件が取り上げられている。


危険運転致死事件
傷害致死事件
現住建造物放火事件
住居侵入、強姦致傷事件などなど…


それぞれの事件で、個性的な被告人、弁護人、検察官が登場し、罪と罰、正義と不正を巡る様々な人間模様を描き出す。


どうやら本書を読むと、それまでの刑事裁判において、裁判官と弁護士と検察官とで長年作りあげてきた不文律の「お約束」が、裁判員が加わったことにより、少しずつ変化しているようだ。
法律用語の連発がなくなったなどが挙げられていたが、他にも裁判員裁判においては、弁護人や検察官には頭脳の優秀さの他にコミュニケーション能力とかルックス(美醜だけでなく)とか、醸し出す雰囲気とか、人としての魅力ともいうべき新たな要素が要求されるようになったということが分かった。
それは生得の才とも言うべきものでもあり、試験勉強とは違い、一生懸命努力すれば必ず得られるものとは言えないものだ。
しかし、なによりも怖いのは、それを弁護人や検察官が持っているか否かということが、被告人という一人の人間の運命を左右する可能性がある、ということ。
自分が被告人の立場になった時、私はそのことを絶対に忘れないようにしなければ…!


北尾トロさんは、こんなことを本書の冒頭に書いている。


刑事事件を傍聴するとき、僕は被告人の立場になって考えることが多い。
唯一、「もし自分が」と想像できる立場が被告人なのだ。


その言葉に、私も師匠に言われたもう一つの言葉を思い出した。

「ここにいるのは自分だったかもしれないと思いながら被告人を見るんだよ」

本書と一枚の年賀状をきっかけに、優しい師匠を思い出した新年の幕開け。


傍聴弁護人から異議あり!

傍聴弁護人から異議あり!